ChatGPTによる聖徳太子のことを聞いてみた。
聖徳太子は、神道・仏教・儒教の三大宗教を平和的に編集し「和」の国家構想を描いたことで知られています。聖徳太子と仏教、儒教、神道に関する主な事柄は次のとおりです:
仏教:聖徳太子は熱心な仏教徒で、高句麗の僧である恵慈に師事して仏教を学びました。また、主要な仏典の注釈書である「法華義疏」「勝鬘経義疏」「維摩経義疏」を著作しています。
儒教:聖徳太子が制定した「憲法十七条」の第一条には「和をもって貴しとなす」という儒教思想に基づいた普遍的人倫が説かれています。
神道:聖徳太子の国家構想では、自然と人間の循環調停を神道が担うと説かれています。
和の精神:聖徳太子は「和をもって貴しとせよ、忤うことなきを宗とせよ」という有名な言葉で「和」の精神を示しました。
聖徳太子は、日本最初の成文憲法である「憲法十七条」を制定し、仏教を広めるために法隆寺を建立しました。
下は2011年1月のブログです。2か月後の2011年3月11日には東日本大震災が発災しました。その後2019年にはコロナ禍が襲ってきた。ここ30年間の三大危機です。
日本は移民政策などヨーロッパの失敗を周回遅れで取り入れ、いまだにアメリカ化に疑問がない。今のヨーロッパやアメリカを真似てもロクなことはありません。日本の政治家には聖徳太子のリーダーシップを振り返ってもらいたい。
崖っぷちにある日本で国民の信託を全く受けていないような人たちが権力の座に胡坐をかいている。これは日本にとっての悲劇です(四つ目の危機)。そして、国民には暴力団対策法のような使用者責任がある!(組員が問題を起こすと組長にまで責任が及ぶということ)。
*** 2011年1月のブログ ***
1月17日、阪神・淡路大震災から16年、毎年この時期になると『方丈記』です。
「行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある人と栖(すみか)と、またかくの如し」(有名な冒頭の部分)。
16年前の1月17日早朝、私は東京のホテルにいました。前日の夜、ニューヨークから東京に飛んで来たのです。1週間の予定で東京・大阪、そしてロサンゼルスへの出張の初日です。夜中から起きていたので、朝5時のニュースが始まる前からテレビをつけていました。大きな地震があったことを、臨時ニュースが伝えました。気になったのですが、そのまま仕事に向かい、夜になって八重洲の居酒屋で友人のOさんと飲んでいました。店の壁に備え付けのTVを見ると、「死傷者が数百名の大惨事」を伝える報道になっていました。しかし、この時点で、5000人以上の人が亡くなる大規模の災害になるとは、誰も想像だにしなかったのです。
大阪の会議はキャンセルされ、数日後、関西空港からユナイテッド航空のロサンゼルス行きの便に乗りました。神戸から船で関西空港に避難してくる人たちが、空港の彼方此方にうずくまっていました。ロサンゼルス便はボーイング747で、私の席はジャンボの2階席。キャビンアテンダントが、「好きなところに座ってもいいわよ!」と言います。なんと、2階席の乗客は私一人だったのです。席についてシートベルトを締めて私の頭に浮かんだのが、『方丈記』の冒頭の部分でした。疲れていた私は『方丈記』を考えながら離陸前に寝てしまい、気がついたらロサンゼルス到着の1時間前でした。
白状しますが、『方丈記』なんて、冒頭の部分以外は全く知りませんでした。方丈(一丈四方)の庵に引きこもったネクラな鴨長明が、人生のはかないこと(無常)を、切々と綴ったものくらいにしか考えていませんでした。しかし、16年前の阪神大震災から毎年一月に『方丈記』をパラパラとめくるようになり、徐々に書かれている内容が分かってきました。
鴨長明は、「いつまでも一つのことに拘る心(執心)を持ってはならない」と言っています。最後の章では、方丈の庵にさえ「閑居の気味」(閑静な住いの趣)と執着した自分を痛切に否定しているのです。様々な天災に遭い、無常を自覚し、方丈の庵の生活に入ってさえ自分の心の修行の足りないことを責めています。ストイックなまでに、人間とは何かを考えたのかも知れませんね。
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