東日本大震災直後の13年前、この文章を書いた時の総理は菅直人でした。
繰り返し言っていますが、高齢者の問題は「責任感」と「情熱」と「他者との距離感」が低下することだと思います(私は石破さん野田さんよりも年上です)。特に「責任感」は急速に減衰して自己中心的になります。人生先が見えてくるからです。人によって差はありますが、だいたい65歳になると傾向は現れます。物理的な劣化は当然ですが、精神的な劣化に注目すべきです。日本人全体に言えることですが。
The Buck Stops Here !
東日本大震災直後の13年前、この文章を書いた時の総理は菅直人でした。
選挙結果にあきれ果てていたら、食卓の上にあったドッグフードのチップスを食べていました。悪くない。ケチャップをつけたら美味しく食べられる!日本の選挙と同じで、とうとう取捨を断ずることができなくなったか?
アジの開き
1980年代の初め、六本木のランチは1000~1200円でした。自分も若いし給料も少ない。四国徳島から六本木に異動してきた私は別世界である東京の物価はすごく高いと思いました。でも当時のサラリーマン同様に私は1200円のランチを食べていた。夜は同僚と飲みに行ってから帰宅した。社会保障にしても税金にしても特に気にすることはなかった。
ウクライナ、中東、朝鮮半島、台湾と世界はあちこちでとんでもない状況になってきました。グローバル化が行き過ぎた場合、人類は戦争以外に解決する手段を持ち得ないのでしょうか? 国連が機能しないことは明らかになりました。コロナ禍でWHOも役に立たないことが露見しました。
国家には国民を護る責任があります。ところが、北朝鮮の拉致問題を見ても半分国家の日本に多くは望めません。また、最近の政治家の言っていることを聞いていると、日本は半分国家が1/4になろうとしているかのようです。
「外」(海外)から「内」(日本)を見るって本当に大事だと思います。「内」しか知らないって子供の世界のようなものです(江藤淳が言った「ごっこ」の世界)。私みたいにオツムが空っぽでも外の世界でひどい目にあってきた経験(体得)は自信につながっています。そして自信は覚悟につながると思うのです。コンサルティングビジネスは「仮設・検証」だといわれています。しかし大事な点は、検証で導き出される解決策って体験的じゃないと意味がないということです。仮設はビジネススクールで教わる知識かもしれないけど、検証は体験に裏付けられないと机上の空論になります。
よく理解することなくコンサルは学生の人気職業の一つになっているようですが、日本のコンサルタントは体験的じゃないという半分コンサルのようです(コンサルごっこ?)。アメリカも随分と変わりました。しかし、まだ体験的な部分を重要視する要素が残っていると思います。
これからのAIの時代、つまりデジタル化が進化すればするほど、想像力や判断力やイニシアチブが重要になってきます。 だとすると、中学や高校時代に枠にはめられた受験勉強ではなく、歴史や文学を学ぶ意味が出てくるのです。 デジタルの世界が実は曖昧さや創造力が大切なんて皮肉ですね。
日本の教育はアメリカのMBAのようになっている。つまり、すぐに役立つものや世間が興味を持つ実務的なもののみが知識として重要視される状況です。1990年代前半にボストンでオラクルの創業者であるラリー・エリソンのプレゼンテーションを聞く機会がありました。オラクルは今の10分の1の売上、ラリーはホラ吹きセールスマンだと揶揄するジャーナリストもいた時代です。しかし、ラリーの頭の中にはインターネットを中心とした近未来がイメージできていたのでしょう。スマホがない時代にスマホを「スーパーセット」と言ってました。
今の日本の政治家は嫉妬というかコンプレックスが強いようです。コンプレックス(優越感と劣等感のミックス)が強い人たちに金と権力を持たせちゃいかん。コンプレックスの原因は序列社会の中で大学入試の失敗が人生の最大の挫折と思っていることかも知れません。基本は彼ら自身の内部にある「ENVY」でしょう。
福沢諭吉は『学問のすゝめ』十三編で「怨望」について書いています。多くの欧米の書物を読んで日本に紹介した福沢諭吉は、英語のenvy(エンヴィ)を「怨望(えんぼう)」と訳したのでしょう。 これは、妬みのことです。福沢諭吉はこれが一番よくないと言っています(凡そ人間に不徳の箇条多しと雖ども、その交際に害あるものは怨望より大なるはなし)。福沢諭吉は「怨望」を「他人と幸せのレベルを比較して、自分のほうが不幸せだと感じたら、自分が幸せになろうと努力するのではなく、他人を不幸に陥れようとして低レベルに平均化すること」と説明しています。
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「新聞を読まない人は、読む人よりも真実に近い」( 第三代アメリカ大統領トーマス・ジェファーソン )
新聞や週刊誌だけでなくテレビを見ない人は見る人よりも真実に近い。私は30年以上日本のメディアとは距離をとってきました。だから汚染レベルは比較的軽度なのでしょう。学生の頃はA新聞の世論調査のバイトをやっていたので、世論調査なんてものも一切信じません。ネットで様々な角度でニュースを検索するように努めているのですが、ある程度は汚染されていると思います。9月になってアルトサックスを始めました。生まれて初めてのSAXです。
息子が27年前に学校で吹いていたサックスを27年ぶりにケースから取り出しオーバーホールに出しました。WHITE PLAINS(ニューヨーク郊外)の Sam Ash(楽器屋)で800ドルくらいで購入したものです。今回の修理は¥98,000 でした。これは練習するしかない!と始めたのでした。
I started playing alto saxophone. It's the first time in my life. This is the recording of my second week (excuse me!).I took the saxophone out of the case that my son played at school 27 years ago and sent it for overhaul. I bought it at Sam Ash in WHITE PLAINS (suburbs of NY City) for $800, and this repair cost me 98000 yen. I thought that the only way to deal was to practice myself.
日本政治のドタバタは日本国民が覚醒する絶好の(最後の?)機会かもしれません。石橋湛山(55代首相)と吉田茂(45代、48~51代首相)を比較することで、敗戦後80年の日本政治を理解するヒントになると思います。考えは異なりますが、二人とも日本の生き残りをとことん考えたのでしょう。