2021年10月26日火曜日

本当の教育改革とは?

 

運動会の練習か? @ 井の頭小学校

小学生の頃に限り教師のコントロールが生徒に勝っていい。だから教師の質、つまり、教師の倫理観や知性は大事です。各論や半径数メーターの選挙演説を声高に叫ぶ政治家は、この国の未来をどうしたいのでしょう? 毎度のことながら呆れるばかりです。私の住む地域は東京18区、元首相は「コロナという非常事態には一番経験のある私がふさわしい政治家です」と全く反省がない。

教育の失敗が今の日本の状況を生み出したのは明らかです。

基礎教育が欠落するということは、公共心が育たないということです。間違った教育を続けることは勘違いした大人を量産することです。頂点にあるのが日本の政治家であり官僚でありビジネスリーダーたちですね。バラバラな知識を統合したり、体系化するような教育改革を行ってもらいたいと思います。

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2021年10月14日木曜日

学歴信奉はやめませんか?


ピザも自家製が最高!

ポストコロナの時代は、統合化(integration)とか総合的(synthetic)といったことが益々重要になると思います。カタカナで胡麻化すのではなく、基本的な概念をできる限り正確に理解して物事を全体的に考えることが要求されます。日本にはそういった思考ができる人材はごくわずかなのです。

日本企業、つまり、サラリーマン(日本独特の存在)として働く人材を育てるには、これまでの日本の教育システムは合理的だったのかも知れません。しかし、日本企業が世界で競争力を失ったとなると、教育システムを根本から見直す必要があります。

教育の目的は実社会への準備のためや、究極的には幸せになることです。世界の素早い動きに多くの日本企業は適応異常を起こしています。これまでの日本企業が必要としてきたスペックの人材を、これまで通りに育成してどうするのですか?子供たちを不幸にするだけです。日本は沈没してしまいます。

教育問題として、少子化や教育現場での情報化(今はやりのDX)や教育者の不在が問題視されているようですが、果たしてそういった現状認識でいいのでしょうか? 

以下のような問題が十分に議論されていることを期待します。 
  1. パターナリズム(服従的)
  2. 自律性の欠如
  3. 総合的でない授業(学科毎の学び)
  4. 情熱と興味を開拓する余裕のなさ
  5. 点数による序列主義
小中学校と高校では、生徒‐教師間の力のバランスを変える必要があります。中学後半から高校生にかけて自己が形成され始めます。学校からの強制でなく主導権を子供中心とすべきです。そうすれば子供達の間に競争ではなく連帯が生まれるはずです。小学生や中学の前半まではある程度の強制(しつけ)が必要です。ただし、一人一人臨床的に判断する必要があります。前提条件として、全教科の合計点と内申書で子供を型にはめることは直ぐにでも止めるべきです。

もういい加減に学歴信奉はやめませんか? 日本の有名大学の名前が「鎧」になった時代はとっくに終わっているのです。

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2021年10月12日火曜日

学校の評価基準は間違っている

小学生の時に使ってた物差し

点数が学力をはかる客観的な物差しであると見なされています。
はたしてポストコロナの混迷の世界、そのままでいいのでしょうか?

「寛容」は英語で tolerance ですが、tolerance は「許容誤差」の意味もあります。これからの世の中は益々寛容さや許容誤差、つまり tolerance が大事になってくると思います。

ところが日本の教育を見てみると、真逆の方向にダッシュして未だに走り続けている。受験業者などの既得権益保護が目的なのか、、、と疑ってしまうのです。

物差しが間違っていると、時代に合わないスペックの大人を量産し続けることになる。

混沌とした状況で必要とされる能力は以下の3つです。
  • 徹底的に自分の頭で考える(プロセス思考)
  • これまでの枠や常識をのりこえる(イノベーション)
  • 誤りを恐れない(試行錯誤)
こういった生徒は日本の教育システムでは優等生になれない。

日本の学校教育の特徴は以下の通りだからです。
  • 回答する時間が決まっている ⇒ 頭の回転がはやい。
  • 出題範囲がきまっている ⇒ 一定の枠の中で考えることに長けている。
  • 100点以上はない(減点主義) ⇒ 誤りを犯さない用心深さがある。
いつか変わるだろうと思ってきましたが、一向に問題の本質を議論する姿勢は見受けられません。子供たちの将来を真剣に考えるならば、親御さんが現行の教育システムに反抗すべきでしょう。

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2021年10月11日月曜日

エゴイズムの氾濫

ハロウィーン

パンデミックで世の中がどことなくギクシャクしています。

新たな世界観が出てくるまでの葛藤の時代なのかも知れません。管理の時代から更に自己統治の時代へとシフトしていると思われます。日本にいると分かりにくいのですが、日本ほど自由と平等が高い次元で認められている国は珍しいと思います。自己統治が不完全でありながら、今の日本ではだんだんとエゴイズムが台頭してきています。2年になろうとするパンデミックが日本にもたらしたのは、更なるエゴイズムの氾濫かも知れません。

民主主義は極端な平等を肯定しています。

アメリカのような自由主義は自己決定権が優先しすぎます。資本主義は極端な不平等を肯定しているのです。現代は自己決定権を基本として、いかに全体(公)を考えるかの時代です。本来ならば、義務教育や高校・大学の教育で資本主義のゲームに必要な能力が身につくはずなのですが、日本の場合はそうではない。教育者や政治家に資本主義のゲーム経験のない人が多いのも一因でしょう。

基本的な概念の理解が不十分であるにもかかわらず、エゴイズムだけが氾濫してくるのは危険です。

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