2017年3月10日金曜日

近代化の超克 ~ 日本はいつ欧米を克服するか?

朝の散歩 ~ 玉川上水
少々堅い話題です。 

来年は明治元年から150年。日本の近代化そのものを見直す良い機会だと思います。

明治維新から1975年(昭和50年)頃までの日本には、近代や日本の近代化、近代国家や国民について大いに考え悩んだ知識人や文学者が多くいました。福沢諭吉、新渡戸稲造、夏目漱石、芥川龍之介、小林秀雄、三島由紀夫、福田恆存、戦艦大和の生き残り士官だった吉田満たちです。

彼らは日本を考え、欧米を克服することに悩みました。2017年になった今、日本はどこまで立ち戻って考えねばならないか?。1945年8月15日でないことだけは確かです。私の団塊世代に対する違和感は、彼らの多くの人たちが昭和の戦争の終わり、つまり、1945年8月15日を起点に現代を考えていることです。

これからの日本は、65歳よりも若い世代(ポスト団塊世代)が日本の「近代化の超克」をどれだけ深く考えているかにかかっているでしょう。

以下のことを頭にいれておくと、ほんの少しだけですが、難解な古典や戦中派の文章が分かり易くなります。
  • 西欧の近代化
  • アメリカの近代化
  • 日本の近代化
  • 日本以外のアジアの近代化
それぞれ歴史的背景が違うので、一つ一つを大まかに理解しておく必要があります。それは、「近代」とは今の社会(現代)の常識の基礎となっているからです。明治から大正、戦前の昭和、そして戦後1960年代までの日本の知識人たちは、批評家なり小説家なり、それぞれの立場から「日本の近代化」というものを真剣に考えたのだろうと思います。戦争を体験したために考えざるを得なかったのかも知れません。

ヨーロッパでは、近代以前はカトリック教会が社会および知識の中心だったものが、16世紀以降、教会とは切り離れ、国家・国境の中で、それぞれの国が独自の統治を行う近代国家が形成されていきます。防衛を政府にアウトソースして自分の命と財産を守ったのです(国民と国家の契約)。

知識の面では、真理は宗教、つまり、キリストの教えの中にあったものが、ニュートンの万有引力の発見やダーウィンの進化論を経ながら近代科学が成立していきました。 それは、必ずしもキリスト教とは相容れない真理のあり方だったのです。

日本に近代がもたらされたのは、アメリカの軍人ペリー提督が来航し、圧倒的な武力を背景に恫喝し開国を迫ったところから始まります。日本は植民地化の恐怖に怯え(宗教の恐ろしさは知っていたし、阿片戦争も知っていた)、明治維新を行い、そこから、猛烈な勢いで近代化を達成していきます(文明開化)。

日清、日露、第一次世界大戦を経て日本は列強の仲間入りをします。朝鮮半島、中国大陸への侵攻を開始し、日中戦争を経て対英米戦争へと突入していくことになります。成り上がりの日本は、世界情勢、つまり、世界の腹黒さを冷静に読めなかったからです。

近代が21世紀の今になって大きな壁に突き当たっているということは、世界のリーダーたちは感じています。とくに冷戦後、資本主義は暴走し利己主義と拝金主義が蔓延し、格差は許容範囲を超え、環境も破壊されていきました。誰も止められない(デモクラシー、リベラリズム、キャピタリズムの限界と言われている)。アメリカはベトナム戦争以後、1950年代1960年代の格差のない平和な白人の世界ではなくなった(中産階級の崩壊、移民の増加、WASPからジューイッシュへ権力の移行)。

日本は、近代というものを、ただ単に輸入したカタカナ語(借り物)としてではなく、それをどう日本人が咀嚼し、その結果として新たな世界観を見つけるのか? そして、そういったことの重要性は昭和の戦争前も今も変わっていないのです。否、むしろ戦前よりも強まっている。アメリカによる占領政策(教育とメディアによる洗脳)に端を発したとは言え、自己欺瞞に70年間も浪費してしまったのですから。

日本人は他国の文化を意識しながら日本の価値基準で行動すればいいのです。迎合する必要はないということになるのですが、問題はその「日本的価値」がもう自明ではなくなっていることです。日本人のアイデンティティーとは何かを問い直そうという声すら聞こえなくなった。

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