2016年6月2日木曜日

大阪の反逆はなくなった?

早朝の法善寺横丁

30数年ぶりに大阪の南を散歩しました。 私は大阪の南の生まれ、織田作之助は私の卒業した府立高校の先輩です。 保守的な東京に対抗するための進歩的な大阪というイメージは、残念ながら感じられませんでした。 どちらかというと、上海の街から活気を取り去ったような印象でした。

『大阪の反逆』 坂口安吾 (1947年)

「織田は悲しい男であつた。彼はあまりにも、ふるさと、大阪を意識しすぎたのである。ありあまる才能を持ちながら、大阪に限定されてしまつた。彼は坂田八段の端歩を再現してゐるのである。だが我々は織田から学ぶべき大きなものが残されてゐる。それは彼の戯作者根性といふことだ。読者を面白がらせようといふこの徹底した根性は、日本文学にこれほど重大な暗示であつたものは近頃例がないのだが、壇上のスポットライトの織田作は神聖なる俗物ばらから嘲笑せられるばかりであつた。

(中略)

東京の芸術が職人気質名人気質の仙人的骨董的神格的なものであるとき、大阪の芸術は同時に商品であることを建前としてゐる。かくの如くに両都市が気質的にも対立してゐるのだから、東京への反逆、つまり日本の在来文化への反逆が、大阪の名に於て行はれることも、一応理窟はある。

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