2014年4月4日金曜日

奈良の秋篠川を歩く


奈良の秋篠川は、平城京造営時の時代、物資の運搬のために造られた人工河川です。 

上の写真は、平城宮跡から南に歩き、唐招提寺、薬師寺を過ぎたあたりです。 2キロ先は郡山城址。 郡山城は、豊臣秀吉の実弟である大納言羽柴秀長の居城でした。 

もし、秀長が病弱でなく、当時の情報通であった千利休らと一緒に秀吉の驕り高ぶりを諭すことができていたならば、秀吉の朝鮮出兵はなかったでしょう。 天下をとって傲慢になり、冷静な判断を欠いた秀吉は、明の領土が欲しかった。 半島に攻め入ると、朝鮮は自分に屈服し、明征服に手を貸してくれると考えた。 朝鮮は明の属国であること、だから、中国には完全服従であることを全く考えていなかったのですね。 

明と朝鮮の関係を読めなかったことに加え、兵站も考えなかった。 秀吉にとって朝鮮出兵は致命的な負け戦でした。 昭和の戦争と似ていますね。 半島や大陸の方々は、もしも日本を非難するなら、伊藤博文よりも豊臣秀吉でしょうね。

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