2013年11月30日土曜日

教養とは? ~ グローバルに通用するファンダメンタル

あくまで自己中のチャーリー

オイラ犬やけど、エゴイストやねん。 オイラだけやなくて、人間だってみんなそ~やと思うな。 特に、社会に出る前の学生はんらは利己的や、自分中心ちゅうことや。 

そういった利己主義者たちが一緒に生きていくには、 「お互いが協力せなあかん」ちゅう根本的
な「和諧」の気持ちが大切なんや、これを「教養」っていうねん、「躾」って言わはる人もおるな。 この「教養」や「躾」が一定レベルに達していない社会は無茶苦茶になるんや。 この能力を身につけることが教育来の目的やねん。 ガッコ(学校)では知識の詰め込みばかりで教わらんのが日本の教育の問題やと思うワ。

国家と国家の関係でも同じでっせ。 中国の前主席胡錦濤はんは「和諧」をスローガンにしはった(そこまでふこ~考えてはったか知らんけど)、せやけど、習近平はんが出てきはって、「中国夢」に変えはった。 ホンマ、エライこっちゃな、、、。 


人間なんて、エラそうやけど、オイラと大差ないワ。

***

2013年11月27日水曜日

自由ということ ~ グローバルに通用するファンダメンタル


チャーリーのエゴイズムと私のエゴイズムのバランスを如何にとるか? チャーリーは自分のエゴに引っ張りこもうとするし、私は人間でありご主人様であるという強烈なエゴでチャーリーを思い通りにしようとします。

最近の国際情勢をみると、どの国も国家と国民のエゴイズムのバランスが悪い。 国家間のバランスも悪い。 どうも、自由(freedom)ということの意味を勘違いしているかのように振る舞います。 自由とは、先ずは願望があって、願望を達成する能力を身につけ、最終的には自分で責任をとるという覚悟のことです。 どれが欠けてもいけない。 願望はない、能力はいらない、責任をとるのは真っ平御免だ。 これは、freedom(自由)というのではなく、license(勝手気まま)というものです。

***

2013年11月22日金曜日

民主主義の理解 ~ グローバルに通用するファンダメンタル


JFK(ジョン・F・ケネディ)大統領が暗殺されたのが1963年11月22日。 日本では翌23日、勤労感謝の休日でした。小学生の私は父親の運転する車で、油山(福岡市)に向かっている途中でした。 ちょうど油山のふもとに着いたあたりで、「JFKが暗殺された」という臨時ニュースが飛び込んできました。アメリカ映画やTVドラマ、そして、ベンチャーズの音楽により、アメリカにはぼんやりとした憧れを抱いていたので、その時のことは今でも鮮明に記憶に残っています。 もちろん、小学生である私が政治的な背景は分かるはずはありません。

JFKのことも含めて、今のほとんどの日本人は、戦後の実情をほとんど理解していないと思います。

JFKの暗殺には多くのナゾがあり、本当のところは分かっていません。 日本が理想とする民主主義の模範国であるアメリカにおいて、JFK、RFK(JFKの実弟であるロバート・ケネディ)、キング牧師の3人が立て続けに暗殺されました。 そして、アメリカはベトナム戦争10年の泥沼に突入しました。 私は1976年に初めてアメリカに行ったのですが、そこには自信を失って退廃的なアメリカが横たわっていました。私の憧れたホームドラマのアメリカは、JFKの暗殺を機に終焉していたのでしょう。

グローバルに展開する日系企業に対して長年コンサルティング・ビジネスをやってきました。 特に90年代は、パッケージ・ソフトウェアを使った業務改革プロジェクトなどが計画通りに行かないで泥沼化することを見てきました(幸い自分のプロジェクトが泥沼になったことはありませんが)。 問題の本質に「民主主義」の理解があります。 民主主義は相互理解のための話し合いではありません。 民主主義とは話し合いによって解決しない対立を、合理的に、且つ、限られた時間内に処理する手段なのです。 欧米の人たちは理解しているのですが、日本人はそうではない。 だから、大きな全社的なプロジェクトは泥沼化します。

敗戦後に押し付けられたアメリカ型民主主義は、アメリカではどうも1960年代には木端微塵に砕け去っていた(らしい)。 ところが、日本はほぼ70年もの間、金科玉条として崇め奉ってきた。 それも、間違った理解のまま。

JFKの暗殺は、日本人にとって何を意味するのでしょうか? 冷静に民主主義を考え、アメリカの現状を見つめては如何でしょうか? 盲信はよくないですよ。

***

2013年11月19日火曜日

義理を通す ~ グローバルに通用するファンダメンタル

アメリカで仕事をしていた時、仲間にアメリカ海軍や海兵隊の将校出身者が混じっていました。 7年間将校として駆逐艦に乗って湾岸に行っていた友人もいます。 アメリカ人の立派な人に共通することの一つが「義理」の「義」であることは、間違いないと思います。 

欧米でも日本でも、もしかしたら殆どの国で共通することかも知れません。 下の記事では、「義」を「duty」と訳していますが、たぶん、「sense of obligation」 のほうがニュアンス的にあっていると思います。 新渡戸稲造さんが『武士道』の冒頭で、全ての基底にあるのは「義」だと言っています。 義理を欠くということは、卑怯者だと言う事です

最近の日本では、義理なんて言葉は聞かなくなりました。

***


日本人の母に教え込まれた「義理」 日系初の米太平洋艦隊司令官 ハリー・ハリス海軍大将(57)

2013.11.18 21:56
「harry harris」の画像検索結果
ハリー・ハリス米太平洋艦隊司令官=18日、東京・広尾のニュー山王ホテル(田北真樹子撮影)
「こんにちは。はじめまして」
18日に都内のホテルで行われた記者会見の冒頭。ややぎこちない感じで日本語を口にした。先月16日に太平洋艦隊司令官に就任後、海外メディアとの初めての会見は自分が生まれた日本で行われた。日系人初の米海軍大将でもある。
父は第二次世界大戦にも従軍した米海軍の軍人で、母は神戸市出身の日本人。1958年に米国に移り、南部テネシー、フロリダ両州で育った。
遊び相手の父親や祖父の中には、大戦で旧日本軍と戦った人もいた。日本語をあまり話せないのも、「息子を環境になじませようとした母が、日本語を教えなかったからだ」という。少年には難しい環境だったに違いないが、「母のおかげで乗り越えられた」と振り返る。
その母に幼少の頃から教えこまれた価値観は「義理(duty)」。「6、7歳の子供が理解するにはとても重い概念だった」と話す。父が軍人だったこともあり、「国民は国家が必要とするときに奉仕する」ことを当然とする姿勢を身につけ、高校時代に海軍を目指すことを決意した。
米軍の主要ポストにはヒスパニック系やアフリカ系米国人などが就任してきた。「多様性が米国を強くする。この点を潜在的な敵対国にも、友好国にも分かってもらいたい」。時折、人懐こい表情が浮かぶ。
好きな本は、大戦前に日本人外交官と結婚し、日米の平和の懸け橋になることを目指した米国人女性の著作「太陽にかける橋(邦題)」。悲劇を繰り返さないとの強い思いが伝わってきた。(田北真樹子)

2013年11月14日木曜日

二宮尊徳は古いのでしょうか?


アメリカ義務教育の理念は、自尊心(self-esteem)を育みそだてることだと思います。 南カリフォルニア大学の先生たちが1990年代前半、盛んに議論したのは、自律・自立です。 これらは、二宮尊徳の思想でもあります。

日本には、二宮尊徳の思想をどうしても教育から排除したい勢力があるようですね。 何が何でもも日本や日本人を依存心の強い状態にしておきたいのでしょう。

***

2013.11.13 03:09 産経抄
 子供のとき両親を亡くした二宮金次郎は伯父の家に預けられる。迷惑をかけてはならないと田畑で懸命に働く一方、儒教の『大学』を入手し、深夜に勉強した。ところがこれに気付いた伯父は「そんな勉強のために貴重な灯油を使うな」と禁じる。
 ▼金次郎は川岸の空き地でアブラナを育て、採れた菜種と灯油を交換してやっと夜の勉強を再開した。それでも伯父は「時間を無駄に使うな」と許さない。そこで今度は夜もむしろ織りなどをして働き、山に薪取りなどに行く往復の時間を勉強に充てたのである。
 ▼内村鑑三の『代表的日本人』などで語り継がれる二宮尊徳の逸話だ。小学校などでおなじみだった金次郎の銅像が生まれた所以(ゆえん)でもある。ところが、その金次郎像がどんどん姿を消してきている。学校でほとんど教えず、金次郎が子供たちから遠い存在となったからだろう。
 ▼文部科学省の有識者会議が道徳の「教科」への格上げと検定教科書の使用を求める報告書案を公表した。当然に思えるが、案の定「特定の価値観の押しつけだ」との批判があるらしい。文科省内部にも「教科書検定の基準を決めるのは難しい」と腰を引く声もあるという。
 ▼だが二宮尊徳をはじめ、近江聖人といわれた中江藤樹、「稲むらの火」の濱口梧陵ら、誰もが子供たちに生き方を教えたい人は多い。外国にもヘレン・ケラーやマザー・テレサがいる。そんな人物を語るだけで立派な教科書となる。検定も問題ないはずだ。
 ▼昨年、その試験版として『13歳からの道徳教科書』を編集した「道徳教育をすすめる有識者の会」の渡部昇一氏はこう話していた。「人生のある場面において、教科書に載った人物の良い行動原理が無意識に助けてくれると確信している」。

2013年11月12日火曜日

情緒 ~ 人間が人間である中心

ストラトキャスターは美しい

犯罪を犯す人に欠けているものは、「情緒」だそうです。 

数学者の岡潔と評論家の小林秀雄の対談『人間の建設』(1965年)で、岡潔は、「人間が人間である中心になるものは、科学性でもなければ、論理性でもなく、理性でもない。情緒だ」と言っています。 

携帯によるコミュニケーションは、情緒を育まないと思います。 まだ、PCで文章のやりとりをするほうがましだ。 

***

2013年11月8日金曜日

蕃椒(トウガラシ)

ベランダのトウガラシ

蕃椒横むいたのはなかりけり   


正岡子規 (明治25年 秋)

*** 

2013年11月5日火曜日

読書について ~ 英語よりも大事なこと


『読書について』が新訳で出版されていました。

読書は自分で考えることの代わりにしかならない。自分の思索の手綱を他人にゆだねることだ」(本文より)。

頭の中の言語空間が広がらないうちに外国語を詰め込んだって、思考のベースラインを構築することはできませんね。 『読書について』は本を読むなと言っているのではなく、意義の有る中身のある本を何度も読んで、自分の思想を形成することが大事だと言っています。

学校を卒業したら、自由に本を読んで考える時間を見つけるのは難しくなります。 学生時代、貴重な時間を社会人の真似事で無駄にする必要はない。 きっと、学校やマスコミに仕向けられているのでしょうが、反逆する学生さんの出現を待望します。

いかに大量にかき集めても、自分の頭で考えずに鵜呑みにした知識より、量はずっと少なくとも、じっくり考え抜いた知識のほうが、はるかに価値がある。 なぜなら、ひとつの真実をほかの真実と突き合わせて、自分が知っていることをあらゆる方向から総合的に判断してはじめて、知識を完全に自分のものにし、意のままにできるからだ」(本文より)。

***   

2013年11月1日金曜日

コミュニケーションの基礎 ~ 英語よりも大事なこと


就職活動中の学生さんの中には、自分のやりたいことが分からない人が多く見うけられます(一般的なことだと思います)。 自分のやりたいことを知るには、色んな人とコミュニケーションして(人間交際)、自分をためしてみなければいけないのです。

コミュニケーションの基礎って、外国語を学習する以前に、こういったところにあるのではないでしょうか? 外国語がペラペラできても、信用される人間だと思われない場合、世界で仕事はできません。   

特定の組織やグループの中だけで、塩漬けになってはいけないということです。 

***