2025年3月29日土曜日

子育て ~ 親の心構え

 

NHK HP 「これからの育児」より

https://www.nhk.or.jp/minplus/0028/?fbclid=IwY2xjawJTwn5leHRuA2FlbQIxMQABHVLOCUI1QU7u1Puw_4xWLBe5zG2y9CiTmVlkwZRaGmqC4QRKVE4dNiZ5FQ_aem_HkTc3ML-k0CtfBjf2trgtQ


世の中には種々雑多な「子育て論」があり関連書籍も数多く出版されています。子育てを以下の2つのフェーズに分けて①だけにフォーカスする「子育て論」がほとんどだと思います。

① 成人するまでの子育て
② 成人した後の子供との関係

子供が成人すれば「後は勝手にやるだろう」じゃないのです。私ができているかどうかは別として、親の心構えは誠実で信頼できる親であることです。それが全てであると言っていい。成人した後でも親子関係は継続するのです。

それは親と子の関係に限らない人間関係そのものです。普通の他者との関係を忘れないのが親として自分が死ぬまで続く子育てじゃないですか? 多くの「子育て論」に書かれているような親になろうとする必要はない。子供は親の言っている事とやっている事のギャップを見ています。つまり親の言葉と行動(態度)との関係です。それが信頼関係構築の過程です。私は生意気なガキだったので、中学生の頃は教師のあらさがしばかりやっていました。結果、信頼できない学校や先生とは距離をとった。

日本社会はアダルトチルドレンばかりのような気がします。多くは子供の頃からの親との関係に問題があったからです。それがそのまま会社では上司と部下の関係になる。本心では他者と関われない。仮面をかぶり続けるのです。

要するに親は自然にふるまえばいい。

口だけの親も教師も政治家も誠実だとは言えない。そして信頼される訳はない(総理大臣と国民の関係も同じですよね?)。
  
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2025年3月28日金曜日

アメリカ人であることは恥ずかしい

 ハートのナンシー・ウィルソン「ベトナム戦争の時、自分たちをアメリカ人と呼ぶのがちょっと恥ずかしかった。今はもっと恥ずかしい」
2025/03/25 11:13掲載

Nancy Wilson, photo courtesy of artist
「今、アメリカ人であることは恥ずかしい」。ハート(Heart)のギタリスト、ナンシー・ウィルソン(Nancy Wilson)は、ベトナム戦争を米国にとって恥ずべき時代だったと振り返る一方で、今のアメリカの「淫らな大富豪カルチャー」を痛烈に批判し、今はアメリカ人であることが、もっと恥ずかしいと語っています(記事より)。https://amass.jp/181604/
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1986年6月26日NHKホールでハートの公演を観ました。当日の録音がLIVE盤になっていることを最近になって知ったのですが、手に入れることはできませんでした。39年前アン&ナンシー姉妹も若かった。私も同様に若かった。

私が憧れのアメリカに初めて行ったのはベトナム戦争直後でした。成田空港の開港前で、赤い絨毯が敷かれた羽田国際線からの出国です。グレイハウンドのバスでアメリカを縦断したのですが、そこに見たのは疲弊して自信を失ったアメリカでした(ナンシーの言葉通り)。子供の頃からアメリカに憧れてきた私は大きなショックを受けました。しかし、今のアメリカは私が暮らした1989~2009年のアメリカよりも更に落ち込んでいます。これもナンシーがインタビューで語っている通りです。

アメリカはアメリカのアイデンティティを失った

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2025年3月26日水曜日

D₇が押さえられれた! 

 


やっとD₇が押さえられるようになりました。昨年11月に転倒して(老人!)痛めた左手の人差し指と中指が4か月かかってようやく治ってきたみたいです。


I can finally hold down the D7 code, The index and middle fingers of my left hand, which I injured in November last year, seem to have finally recovered after 4 months.

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2025年3月23日日曜日

コロッケ蕎麦で判断力を鍛える

 

コロッケ蕎麦

いつコロッケを崩すのか? 

最初はおつゆをずずーっと。それから蕎麦をひと口すする。いきなりコロッケを崩すなんて野暮はいけません。コロッケって衣がしっかりしている訳ではありません。つゆを吸って急速にふやけていくのです。

つゆに浸かった下の面はしんなりとしはじめます。上の面はまだカリっとした状態です。この一瞬が大事なのです! ここでコロッケをひと口かじる。

下はしんなり上はカリっ。やがてコロッケを崩す決断のときがやってきます。関東風のかつお出汁のおつゆはコロッケがポタージュ化して最後の一滴まで飲めるのです。

判断力や決断力をこうやって鍛えられます。

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2025年3月21日金曜日

Freedom and Responsibility (自由と責任)

Cooking is like experimenting. You try anyway. I fail, but I wouldn't stop. It is just like everyone's life. You don't give up even if you don't get recognition. It's true for my "Niku-jyaga"(Japanese beef and potatoes). Even if you fail, you keep on making it. Failure is a part of my life. It's food for thought. This time, Niku-jyaga was well done.


Education before the 15-year war of the Showa period placed more importance on the “ears” and the “mouth. However, in the 80 years after the defeat of the war, education was focused on “eyes” with an emphasis on entrance examinations.

Cooking and music are not interesting unless there is someone to eat and listen to them. Studying for exams alone is boring. Knowledge that you think with your eyes is in the past tense. It is like accounting versus finance. It doesn't produce originality.

The “ears” and “mouth” are more important than the “eyes. When the intellectual activity performed by the mouth stops, the elderly become blurred. A guitarist should sing even if he is tone deaf. It is always better to think with the eyes, ears, and mouth in a balanced manner. And when multiple eyes, ears, and mouths come together, new things are created. 

It is freedom and creation. The base of freedom is responsibility. Japanese education has taken away freedom and deprived children of their ears and mouths. Because there is no freedom (Japanese equality), people do not think about responsibility. It has been 100 years since the Showa era. We still don't realize it.

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2025年3月19日水曜日

眼と耳と口のバランス

 

料理は実験みたいなものです。とにかくやってみる。失敗する。でも止めない。人生と同じです。評価されなくてもへこたれない。肉じゃがだって同じ。失敗しても作り続ける。失敗はするものなのですよ。糧になる。今回は上手にできました。


昭和の15年戦争前の教育はもっと「耳」と「口」を大事にした。ところが敗戦後の80年は受験中心の「眼」の教育に徹した。

食べてくれる人や聞いてくれる人がいないと料理も音楽も面白くない。勉強だって一人で受験勉強なんてつまらんでしょう。眼で考える知識は過去形。ファイナンスに対するアカウンティングのようなものです。独創性が生まれない。

「耳」と「口」が「眼」以上に大切なのです。口で行う知的活動が停止すると高齢者はボケる。音痴でもギタリストは歌った方がいい。眼と耳と口で考えるのがバランスがとれていいに決まっています。そして、複数の眼と耳と口が一緒になることで新しいことが創り出される。自由と創造です。自由のベースは責任です。日本の教育は自由を奪い耳と口を奪ってしまった。自由がないから(日本的平等)責任を考えない。昭和も100年です。まだ気づかない。

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2025年3月15日土曜日

一生のうち自由度が一番高いのは?

 
NHKニュースより

70代80代のオツムの悪い部分が世襲されて、今の50代60代が彼らと同じように年を取って行かないか心配です。

30代40代が事なかれ主義になってもらっては困る(支持政党特になしが多い)。支持政党特になしは、現総理に正統性を認めているという事になります。民主主義ですから。

50数年ぶりにルース・ベネディクト『菊と刀』を所々読み返しました。以下の記述があります。1940代、日本に一度も来た事がないベネディクト女史が調査した日本です(AIもインターネットもPCや携帯もない時代ですよ!)。

1.世間の期待通りに生きる(自分を殺しロボットになる)
2.世間を無視し自分の信念に従い生きる
3.1と2の狭間で彷徨い続け年老いていく
  
人生の時間で日本は欧米と真逆です。それは、子供の時と高齢者の時が一番自由度があり、甘やかされているということです。欧米は一般的に壮年期が一番自由度が高い。つまり自由に自分の意志で自分の人生を歩まなければならないのです。   

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2025年3月5日水曜日

アメリカの現状と今後、そして日本は?

 

目は口程に物を言う

自分を客観視しながら人生を生きてこなかった人は、アンテナを高くして全体を見ながら一歩前に踏み出すことはできないものです。

アメリカの現状と今後

私が最初にアメリカに行ったのは1976年。ベトナム戦争が終わりアメリカは精神的に落ち込んでいた。中国の生活や仕事を経てNYに異動したのは1989年。アメリカ人は皆がナルシストになった。自己中ということです。self self self と言い出した。自己啓発本は売れまくった。自分のことだけを考えるアメリカができあがった。


その後移民が増え、イギリス的、つまりアングロサクソン的価値判断やプロテスタント的な価値観(WASP文化)が消滅した(1990年代)。アメリカが求めてきた自由社会の前提は自己規律(道徳)です。それが自由な社会を構築する。ところが直近の20~30年で移民もヨーロッパからだけでなく雑多な移民が増え自由とは言ってられなくなった。本来のアメリカ人は余裕がなくなりアメリカ人の心が狭くなった。

サミュエル・ハンティントンの『Who We Are? ~ The Challenges to America's National Identity』(2004年)より。

①アメリカの覇権体制が崩壊する
②国内の人種対立がさらに激化する
③アイデンティティが喪失する(アイデンティティを持たない不安定な国)
④アメリカは弱体化し、中国が台頭する

そして日本は?

「もう隷従はしないと決意せよ。するとあなたがたは自由の身だ。敵を突き飛ばせとか、振り落とせと言いたいのではない。ただこれ以上支えずにおけばよい。そうすればそいつがいまに、土台を奪われた巨像のごとく、みずからの重みによって崩落し、破滅するのが見られるだろう」(『自発的隷従論』エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ 16世紀 フランス)。

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2025年3月1日土曜日

幸せな高齢者になるための準備

就職氷河期世代 これから直面する課題(NHK)

初回放送日:2025年1月20日

バブル経済崩壊を受けて、新卒での就職が難しかった「就職氷河期世代」。今後直面する可能性が高い住まいや介護などの課題と求められる対応について考えます。



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バブル崩壊が1991年で就職氷河期が始まりました。1970年~1991年生まれを就職氷河期世代というそうです。彼らはトランプを支持するラストベルトの白人労働者層とは「≒」ではない(上の記事参照)。

トランプを支持する白人労働者層はエリートが世襲していく知性主義に反対しています。つまり、ピケティが主張したr(資本収益率)>g(経済成長率)に似ています(既得権益はオカシイだろうと言っています)。ラストベルトの労働者層は高等教育を受けていない人が多い。貧困のレベルは日本よりも悲惨なのです。     

日本の場合、政治家には世襲の弊害が大いにあると思いますが、反知性主義はアメリカのようにモチベーションになるとは思わない。日本の氷河期世代には優秀な成績で有名大学を卒業した人も多いからです。彼らはこれから50代後半に入る。学校で学んだことを全て捨て去って、自分で勉強をし直すことをお勧めします(流行りの手先のリスキリングではありませんよ)。まだ間に合う。視野を拡げ思考の抽象度を上げる。60歳まで継続すると比較的健全で幸せな高齢者になれる!
     
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