2024年6月22日土曜日

東京都知事選に思う

 


今年も長野から杏がやってきて杏ジャムになりました。

暴力の独占


マックス・ウェーバーが定義した主権国家は「暴力の独占を有する」ということでした。一定の領域において単独の主体(国家)が暴力に関する権威・権限を行使する状態を定義したものです。ここで重要なのは、こういった独占に正統性(レジティマシー)があるかどうかという事です。

東京都ほどの規模になると一つの国家のようです。独裁国家や共産主義にはレジティマシーは存在しませんが、日本は半分国家ですが、支配者の言いなりになる専制国家ではないはずです。だとすると、リーダーを選ぶ場合、レジティマシーが問われるべきです。

レジティマシー

普通の国や大都市の支配関係はどうあるべきか? 支配される側(例えば東京都民)は、いつ、いかなる理由で権威を受け入れるのか? 支配する側の正当化の手段とはどういったものなのか?
マックス・ウェーバーはレジティマシーを以下の3つで説明しています:

  1. 「永遠の昨日」の権威; 昔から妥当していることによって、またそれを守ろうとする習慣的な態度によって神聖化された習俗
  2. リーダーの資質(カリスマ性も含む)に対する支配される側のコミットメント
  3. 合法性による支配。

どういった組織でも同じです。ある人が誰かについていくとき、そこには「レジティマシー」があるべきです。

今の日本は「動機は不純で責任はとらない」ということだと思う。メディアはジャーナリズムとは程遠く情動(エモーション)に埋没している。たちの悪い大衆人化している。責任感のない人たちにジャーナリスティックな役割を与えるのは危険極まりないのです。多くの国民は騙されますから。   

政治のために生きるか、政治で生きるか?
                  
マックス・ウェーバーに「仕事としての学問 仕事としての政治」という有名な講演があります。政治を仕事にする人には2種類あって、政治のために生きるか、政治で生きるか(生計を立てる)を議論しています。この2つは明確に分離できるものではないのですが、政治で生計を立てる職業政治家は、サラリーマンのような有給の役職者か、業績に対して手数料を受け取るか、現物支給や現金を受け取るしかないのです。   

政治という仕事の理解政治家に必要な資質の両面を根本から考え直さないと、東京都知事選のような状況になるのです。

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2024年6月10日月曜日

不登校は人生の勉強

 

https://wedge.ismedia.jp/articles/-/34036

不登校になる子供たちよりも、日本の虚無的(ニーチェの言う消極的ニヒリスト)な社会や教育システムのほうが問題なのですよ。学校が本来あるべき人間形成の場になっていない。  
            
不登校って、世間の色に染まりたくないという精神でいる限り全く問題はないと思います。挑戦するってことだからね。人生って死ぬまで試行錯誤の連続です(挑戦)。自分が何をやりたいか、そして、何をやったかがその人の人生でしょう。                        
      
不登校も人生の勉強といえます。自分の人生について考える時間になっているのであれば問題はない。むしろ充実した老後が待っていますよ。真面目に学校に行って従順な態度に徹するって、安全な道ばかり行こうとすることであり、こういった謙虚さは逆にズルさや打算的で、後出しジャンケンのような感じがするのです。

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2024年6月8日土曜日

未熟を楽しむ

 

Baby, Please Don't Go (1935年)

私はこれまで自分は未熟であるという前提で生きてきました。そろそろ人生先が見えてきましたが、これからも変わりませんよ。未熟さに対するコンプレックス(劣等感)なんてありませんからね。それはまだまだ可能性があるということです。未熟は楽しめばいいのです。ギターは言うに及ばず、唄に関しては私の可能性は95%は残っているんじゃないかと思います。   

Enjoy immaturity

I have lived my life on the assumption that I am immature. I don't know how many more years I will be alive. Life has become clearer, and my assumption will not change. To me, there is no such thing as an inferior complex about immaturity. It means that there is still a lot of potential(sounds good!). Enjoy immaturity. Not to mention my guitar, I think I still have more than 95% potential when it comes to singing a song.

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2024年6月2日日曜日

東京都知事選とイーグルスの『ホテル・カリフォルニア』

 

暴力の独占

マックス・ウェーバーが定義した主権国家は「暴力の独占を有する」ということでした。一定の領域において単独の主体(国家)が暴力に関する権威・権限を行使する状態を定義したものです。ここで重要なのは、こういった独占に正統性(レジティマシー)があるかどうかという事です。

東京都ほどの規模になると一つの国家のようです。独裁国家や共産主義にはレジティマシーは存在しませんが、日本は半分国家ですが、支配者の言いなりになる専制国家ではないはずです。だとすると、リーダーを選ぶ場合、レジティマシーが問われるべきです。

レジティマシー

普通の国や大都市の支配関係はどうあるべきか? 支配される側(例えば東京都民)は、いつ、いかなる理由で権威を受け入れるのか? 支配する側の正当化の手段とはどういったものなのか?マックス・ウェーバーはレジティマシーを以下の3つで説明しています。
  1. 「永遠の昨日」の権威; 昔から妥当していることによって、またそれを守ろうとする習慣的な態度によって神聖化された習俗。
  2. リーダーの資質(カリスマ性も含む)に対する支配される側のコミットメント。
  3. 合法性による支配。
会社でも、どういった組織でも同じです。ある人が誰かについていくとき、そこには「レジティマシー」があるべきです。

Hotel California (1976年)

東京都知事選挙を見ていると、どうしてもこの曲を思い出してしまいます。この曲は快楽主義や金持ち主義(hedonism)を批判したもののようです(イーグルスは皮肉にもお金の取り分に関して裁判にまでなってしまいましたが、、、)。なぜ東京都知事選挙が『Hotel California』につながるかを見てみましょう。
      
They livin' it up at the Hotel California
What a nice surprise
Bring your alibis

選挙だ選挙だとメディアが煽って世間は大騒ぎしている。
政治のために生きたいと思うならば(政治で生きるのではなく)、先ずは自分らの潔白を証明する証拠を持って来いよ!

And she said, "We are all just prisoners here of our own device"
みんな自らすすんで自分の欲望の虜になっている。

They stab it with their steely knives, but they just can't kill the beast
欲望という化け物を刺し殺そうとするんだけど、どうしても出来ない。

"We are programmed to receive
You can check out any time you like, but you can never leave"

諦めて自分で考えないで流れに乗ってればいいんだよ。みんな絶対に逃れられないんだから。
   
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