ibg のランチでクリント・イーストウッドの『ミリオンダラーベイビー』(2004年)の話になりました。安倍さんの著書『美しい国へ』(2006年)の中で安倍さんがこの映画のことを書いているので、安倍さんの本の話から映画の話題になりました。
『ミリオンダラーベイビー』は「安楽死」を題材として、近代(モダン)主義からポストモダンへの転換をテーマにしていると思います。近代合理主義は根底に全ての個人の生命への「生きる権利」に絶対的価値を置き「死の権利」を無視してきた。非常に利己的になった。
私の想像ですが、イーストウッドは自分の年齢からか、死を意識して人の一生とか幸福とかを考えたのだろうと思います。アメリカが混迷し(余裕をなくし)、この映画が製作された20年前はすでに利己主義者と 0.1%の大金持ちによって占領されてしまった。イーストウッドが愛した旧き良きアメリカは行き過ぎた近代化(文明化)よってズタズタにされた。
超近代主義のアメリカが行きついた先は果たして人にとって幸せか? どうなのよ? 自分は? といった疑問で、イーストウッドの頭の中がいっぱいになっていたのかも知れません。もしも死ぬことが幸せならば、死ぬことも個人の幸福追求(の権利)ではないかと(すなわち安楽死)、、、。銃規制と同じでアメリカが抱える矛盾ですね。
今の日本って30~40年前のアメリカのように思うのです。欧米の一部は直近の四半世紀、過度な近代化やグローバリゼーションを見直そうとしている(そうじゃない人もいっぱいいますが、、、)。アメリカに住んで仲の良いアメリカ人の友人たちと接して感じたのは、アメリカは個人主義の国で近代合理主義で個と集団(公)を割り切っているようで、合理的な面はもちろんあるのですが、実は伝統的な彼らの家族主義も備えているということです。個人の意見はあるけど、じつはそれを尊重する家族や仲間がいるのです(共同主観に立つ)。私が親しくなったアメリカ人はだいたいそんな感じでした。
世界のリーダー達が安倍さんの死に哀悼の意を捧げたのは、今の混迷の世界の中で日本の伝統や文化が一番まともで羨ましく思っているからじゃないのか? ところが、一部の日本人だけが深く考えず安倍さんのことも犬死させるのでしょうか?
日本は高齢化が超高齢化になり、生と死の境の問題がますます大きくなっています。日本人は日本人の死生観を確認する時だと思います。安楽死というのは近代主義や近代国家の思想では解決できないものです。アメリカという実験国家は近代主義の最先端を走ってきた。日本には日本人の死に方(死生観)があったはずです。それはケースバイケースのあうんの呼吸なのかも知れない(安楽死と言えるものも含めて)。ところが、いまは病院に放り込めば家族は自分の手を離れたとホッとしてしまう。生と死の間がなくなった。世界の知性はそのことに気づいている。
安倍さんがご自身の著書で映画『ミリオンダラーベイビー』を取り上げたのは、もしかしたら、以上のようなことを意識していたのかも知れませんね。
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