2022年7月19日火曜日

安倍さんの死 4

 

ibg のランチでクリント・イーストウッドの『ミリオンダラーベイビー』(2004年)の話になりました。安倍さんの著書『美しい国へ』(2006年)の中で安倍さんがこの映画のことを書いているので、安倍さんの本の話から映画の話題になりました。

『ミリオンダラーベイビー』は「安楽死」を題材として、近代(モダン)主義からポストモダンへの転換をテーマにしていると思います。近代合理主義は根底に全ての個人の生命への「生きる権利」に絶対的価値を置き「死の権利」を無視してきた。非常に利己的になった。

私の想像ですが、イーストウッドは自分の年齢からか、死を意識して人の一生とか幸福とかを考えたのだろうと思います。アメリカが混迷し(余裕をなくし)、この映画が製作された20年前はすでに利己主義者と 0.1%の大金持ちによって占領されてしまった。イーストウッドが愛した旧き良きアメリカは行き過ぎた近代化(文明化)よってズタズタにされた。

超近代主義のアメリカが行きついた先は果たして人にとって幸せか? どうなのよ? 自分は? といった疑問で、イーストウッドの頭の中がいっぱいになっていたのかも知れません。もしも死ぬことが幸せならば、死ぬことも個人の幸福追求(の権利)ではないかと(すなわち安楽死)、、、。銃規制と同じでアメリカが抱える矛盾ですね。

今の日本って30~40年前のアメリカのように思うのです。欧米の一部は直近の四半世紀、過度な近代化やグローバリゼーションを見直そうとしている(そうじゃない人もいっぱいいますが、、、)。アメリカに住んで仲の良いアメリカ人の友人たちと接して感じたのは、アメリカは個人主義の国で近代合理主義で個と集団(公)を割り切っているようで、合理的な面はもちろんあるのですが、実は伝統的な彼らの家族主義も備えているということです。個人の意見はあるけど、じつはそれを尊重する家族や仲間がいるのです(共同主観に立つ)。私が親しくなったアメリカ人はだいたいそんな感じでした。

世界のリーダー達が安倍さんの死に哀悼の意を捧げたのは、今の混迷の世界の中で日本の伝統や文化が一番まともで羨ましく思っているからじゃないのか? ところが、一部の日本人だけが深く考えず安倍さんのことも犬死させるのでしょうか?

日本は高齢化が超高齢化になり、生と死の境の問題がますます大きくなっています。日本人は日本人の死生観を確認する時だと思います。安楽死というのは近代主義や近代国家の思想では解決できないものです。アメリカという実験国家は近代主義の最先端を走ってきた。日本には日本人の死に方(死生観)があったはずです。それはケースバイケースのあうんの呼吸なのかも知れない(安楽死と言えるものも含めて)。ところが、いまは病院に放り込めば家族は自分の手を離れたとホッとしてしまう。生と死の間がなくなった。世界の知性はそのことに気づいている。

安倍さんがご自身の著書で映画『ミリオンダラーベイビー』を取り上げたのは、もしかしたら、以上のようなことを意識していたのかも知れませんね。

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2022年7月18日月曜日

安倍さんの死 3

 
下は7年前の小林秀雄に関する記事です。

小林秀雄は一歩一歩前に踏み出す一貫性のある生き方を論じていました(『私の人生観』)。自分の足元を見る。足元にある伝統(日本人の生き方)を自覚する。伝統に従い信じる。それは右翼にも左翼にも媚びない生き方です。

アメリカにも中国にも媚びない自立した国家。日本国民の60~70%は自分の直観に従って共感し、弔意を表し涙したのだろうと私は信じたい。

小林秀雄の「戦後」 論説委員・福島敏雄


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安倍さんの死 2

日本とは違い海外では安倍さんの評価は一様に高い。恐らく日本では元首相の暗殺さえも芸能ニュースの一つであるかのように忘れ去られる可能性が高いでしょう。批判ばかりでなく危機感と責任感を持って、子供や孫そして今を生きる自分たちのために、もっとまともな日本にする努力をするべきじゃないですか? 坂口安吾が敗戦直後に『堕落論』で言ったように、もっともっと堕落して落ちるところまで落ちないと気づかないか?  

死というものは本人だけのものでなく集団のものとみなす傾向が強い。それは生きるという事が家族や仲間と共有しているからです。安倍さんのような人は共有の範囲がただものじゃない。私はそういった家族主義的なものの考え方はいいと思う(アメリカ価値観と真逆)。これからの超高齢化社会の日本では高齢者の孤立を避けるという意味でも、ますます必要なことだと思う。

先の戦争では300万以上を犬死させたままの日本ですが、安倍さんの死を犬死させないように目を覚ましてほしい。

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2022年7月17日日曜日

安倍さんの死

 
安倍総理のご冥福をお祈りします。

私は安倍さんのファンでも自民党の熱狂的な支持者でもありません。しかし、高齢者の一人として自分の国が少しでも良い方向に向かってくれればいいと思っています。

多くの人が安倍さんの死を悼んでいるのは安倍さん自身が日本的な価値観の源泉だった(または近かった)のでしょう。それに共感した日本人が今の時代でも多くいたことに対して、正直な感情として私は嬉しく思いました。だから安倍さんの死を三島由紀夫のように犬死させてもらいたくない。

安倍さんの日本的価値観は世界のリーダーの間(バイデン、プーチン、トランプ、エルドアン、モディ、ジョンソン、マクロン、蔡英文 等々)でも受け入れられていた。主義主張の異なる世界のリーダーたちが、日本を羨ましく思っているのかも知れない。世界が模索するポストモダンやポストコロナの世界は、日本本来の価値観に近いものじゃないのか?(例えば、小乗仏教ではなく親鸞の仏教的なもの)。

政治家に100%を求めてはいけない。私は60%でいいと思っています’。自信と誇りのない個人も、会社も、国家も存在意義がない(私の人生とビジネスの経験から言っています)。これは上から目線ではありません。私は安倍さんの政策や思想で意見を異にする部分があります。ただし一番共感する点は、彼はブランド志向じゃないところです。序列主義(偏差値主義)じゃない、柱をいっぱい立てて梁を通さない教育に大いに疑問を持っている点です。安倍さんは私のような一般的な高齢者とは違う。私は国民のために命はかけられない。そんな勇気はありません。だから政治家をやっていません(もちろん教育者でもない)。彼は命を懸けていた。政治家ですから超リアリストだったと思います。彼の生い立ちを考えると、国家レベルで「原因と結果(日本の現状)の間」から政策を考えて行動したのだろうと思います。

安倍総理の「死」を犬死させないためにも、共感した感情を掘り下げて日本の未来につなげてもらいたい(民主主義が~民主主義が~!のような似非悼みではなく)。企業だって同じです。共感する価値観の源泉がないのに企業の業務改革や意識改革なんてあり得ない。教育でも同じですよね? もっと大きなレベルで共感する価値観の源泉がないと教育も成り立たないのではないですか?(家族とは? 人生とは? 生とは死とは、、、といった)。


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2022年7月16日土曜日