夏目漱石や永井荷風が戦った日本の「世間」(自分の所属する地域や組織の権威) の壁はいまだに崩されていない。日本人は世間との関係の中で常にバランスをとりながら生きています(悪い面ばかりじゃないが、、、)。日本の「世間」は非常に曖昧なものであり、日本の個人はその微妙な関係の中で自己形成するしかない。
漱石はイギリスで自己本位を手に入れて強くなった(『私の個人主義』)。ところが、アメリカとフランスで暮らした永井荷風は諦めて自分の世界に閉じこもった(『断腸亭日乗』)。もし漱石が長生きしていたなら荷風のようになっていたかもしれない。。恐らく50年くらい前までの日本人は、自分で「世間」をどうすることもできないので、『吾輩は猫である』や『坊っちゃん』を読んで憂さ晴らしをしたのでしょう。ところが、今の日本では過去の遺産も忘れさり、坊っちゃんはコミュ障(害)と言われているようです。
そもそも国家意識が希薄だから(根本的には個人=individualと社会= society が出来上がっていないから)、日本人はこれほど惨憺たる状態でも平気なのでしょう。ここまでお粗末な「全て」の犯人は誰なのでしょうね?
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