50数年ぶりに食べました。マルタイ棒ラーメンの再評価です。
「危機」とは人に根源的な思考を求める状況だと言われます。
そのような状況で読まれる本や議論されることは、価値観や文化などの根源的な思想です。日本の場合、そういったものが残っているのでしょうか?自ら放棄し続けて、今ではほとんど無くなりかけていないか?例えば盲目的な英語学習による国語の喪失などです。
近代科学が自明視してきた世界の成り立ちを根源に立ち返って、その在り方を考えようという動きが欧米の知識人の中で起こりました。そういった中でコロナ禍が出現しました。近代のように人間が技術を使って自然をコントロールするのではないという考えです。
明治の近代化で精神の近代化を棚に上げて技術だけを追い求めた日本は、ポストモダン(近代)を考えた上で「禍」の時代の次(ポストコロナ)を考えることができるのでしょうか?
繰り返し言っていますが、日本で近代科学が自明とする価値観の問い直しと、それらを再バランスさせるという考えがでてくるでしょうか? 政治家には価値観をベースにパラダイム(思想の立脚点)を明確にし、ポリシーやどう実行計画を立てて行くかを考えてもらいたい。コロナ禍を機会に日本や日本人の生きる道を考えてもらいたいと思います。
***
0 件のコメント:
コメントを投稿