2021年7月30日金曜日

コロナ体験でわかった日本の課題

夏野菜もそろそろ終盤です。3度でなく5~6度は収穫できた三度豆(インゲン)も終了しました。トウモロコシも終了です。あとは主力がトマトで、茄子とピーマンは順調に実がなっています。夏野菜もやってみて色々と勉強になりました。

コロナ体験でわかった日本の弱点と課題は簡単には解決しない。

多くはコロナ禍以前からの問題であり、問題の根は深く、明治維新以降の日本の近代化に立ち返って考える必要があります。政府や金融機関だけのせいじゃない。自己の変革なくして社会の変革などあり得ないのです。

近視眼的な手段の連続では決して解決しない。

個人(individual)が自立せず西欧のような近代社会(society)が成立しないのであれば(宗教の関係もあり日本では成立しないと思う)、「世間」を見直すしかない。「世間」をここまでボロボロにした主な原因は教育と、大衆をミスリードするメディアでしょう。だとすると、解決へのスタートポイントは明白です。時間はかかるが。

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2021年7月25日日曜日

上滑りをやめて考える時

 

今年も土用干しの季節になりました
どっしりと重量感がある精鋭の南高梅23粒

1964年の東京オリンピック

1964年の東京オリンピックの頃、日本は自立しようと一生懸命だったのでしょうね。私は地方の公団住宅に暮らす小学生、もはや戦後ではないと言われ、各家庭にテレビは行き渡っていました。ただオリンピックを見るためにカラーテレビを購入する家は、まだまだ少なかったように思います。しかし、私を含め小学生には弱者という感覚はなかった。五感を研ぎ澄ますための自由があったように思います。蝉取りに走り回ったり川でフナと格闘したりと、子供の一日の中で自然が占める割合が大きかったのです。


寛容さがなくなる世界

アメリカは日本の20〜30年先を走っています。そのアメリカを見ていると、弱者が痛めつけられる社会に急激にシフトしてきているように感じます。弱者の権利はどんどん剥奪される。寛容さなんて皆んな忘れちゃってる。アメリカに盲従する日本も早晩そうなるでしょう。だとすると、最大の弱者で被害者は子供です。私のような図々しい高齢者じゃない。

「世間」が拘束する日本

日本は社会に代わって「世間」が人を拘束しています。世間は社会と違って視野の狭いタコツボの中のルール(感情)で動く。どういった「社会」であるべきか、どういった社会で暮らしたいかをデザインしていく個人の発想が欠落しているのです。人生の主人公として運転席にいるのは自分じゃないですか。これからの世界では、個人が独立していないということは致命傷であり、残念ながら、それが今の日本の根本問題なのです。

未来への期待

明治維新に立ち返って考え直すべき時です。明治の文明開化でハード面は近代化しました。しかしソフト面、すなわち精神の近代化は棚上げされた。それが昭和の戦争の内的要因にもつながったと思います。300万人も戦死者を出した敗戦にもかかわらず、精神の問題(人間関係)を棚上げしたままアメリカ依存の戦後復興(≒ 高度成長)、バブル崩壊、それに続く失われた30年を経て、昨年からのパンデミックに至っています。明治維新、敗戦、東日本大地震、武漢ウィルスによるパンデミック。まだこのまま上滑りを続けるのか?

若い人には高齢者の意見は最小限にして、自分たちの未来を自ら運転席に座って考えてもらいたい。

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2021年7月14日水曜日

選択の連続が人を成長させる


収穫のタイミングまで選択の連続である野菜作り

選択の連続が人を鍛え成長させる

止まったり回避しちゃ成長はないし、最終的には幸せにならないと思う。一つ一つの選択に個性だとか自由だとか責任とかが絡んでくる。責任感のない事件や事故が頻繁に起こるようになったのは、なんとなく人任せで主体的に自分で選択して実行してないから責任という感覚に結びつかないんじゃないか? 流行りのダイバーシティにしても、一人一人が違っていて個性があって、色んな意見があって議論するから意味がある。一人一人の意思決定のプロセスが異なるから個性の違いがでてくる。最終的にダイバーシティのパワーとなる。

日本の教育は「考えないこと」を教えている

日本の現行教育は子供たちを枠にはめる事だけを教える。文科省や学校が決めた枠です。「framed=枠をはめられる」 ってワナにはめられるという意味です(Bob Dylan「I shall be released」)。そうだとすると、日本の子供たちは考えないまま大人になって行く。「そういうもんだ」と思えば何も考えなくていいし、自分で判断する必要がなくなる。「なんとなく幸せ~~~」。

人の脳ってよくできている

入力があって計算(思考や教訓)があって出力がある。日本の教育は入力の部分を子供たちに任せずに、枠のなかで「こういうもんだ」を教える。ところが、そもそも脳の働きって学習機能です。経験を積めば積むほど、成功や失敗を繰り返せば繰り返すほど、賢くなる。それは言い換えれば、「自分の枠が出来てくる」ということです。人が作った枠じゃなくて、自分の枠です。つまり、枠ははめられるのじゃなく自ら作る。学習とか勉強ってそういうことじゃないかな?「羹に懲りて膾を吹く」じゃないけど、経験して賢くなる。脳機能を考えるとそれが学びでしょう。

教育とは?

美味しいものを食べたり、感動する映画や絵を観たり、様々な種類の音楽を聴いたりして脳に入力(インプット)していく。子供はインプットを繰り返すことによって自分の入力能力である五感を鍛えていく。インプットは選択し(オプション)でもある。自分で選択を繰り返し試行錯誤し、錯誤の幅を狭めていく。それをサポートするのが教育なんじゃないかな? そして、それは親の役割でもある。


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2021年7月6日火曜日

人生に通じる枝豆の収穫

どの野菜も収穫時期(ピーク時を特定する)を見極めるのは非常に難しい。今回の夏野菜の目的は「自分で作った枝豆とトウモロコシでビールを飲むぞ!」ですので、枝豆に対しては他ならぬ情熱と真剣味が増します。

莢(さや)の状態を見極める

枝豆は大豆を未成熟の状態で収穫するので(最初に発見した人は凄い)、収穫の適期は非常に限られた日数です。早すぎると実の育ちが悪く、遅れると黄色くなって風味や味が損なわれていきます。莢が膨らみ始めたらタイミングを逃さないように常に状態を見ている必要があります。臨床的だということです。

全体の8割程度が適期になれば収穫をする

株についている莢の全部が同じタイミングで収穫の時期を迎えることはありません。全体の7~8割の莢の状態がパンパンに張ってきたら収穫です。全ての莢が平等に大きくなるのを待っていては収穫の適期を逃します。数日から一週間が勝負です。

教育や会社経営、そして子育てを含む人生全般に通じるものがありますね。

本日の収穫

インゲン(三度豆)は5度目の収穫


トウモロコシは錦糸(ヒゲ)が茶色く枯れ実が固く充実したら収穫。


トマトは赤くなると鳥や虫に食われる

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2021年7月5日月曜日

個性を伸ばすには?

夏野菜の収穫

個性を伸ばすことが人間の幸福や人としての成長につながります。どうも日本の教育、否、現行の受験システムは真逆の方向に突き進んでいるように思います。








どうやって個性を伸ばすかは、自分で選択することを繰り返すということです。だから親や学校として子供に対してできることは、子供にできる限り多くの選択肢(オプション)を提示してあげることではないかと思うのです。自分の人生設計を他人に委ねない。自分で選択しながら試行錯誤を繰り返す。そして、錯誤の幅を狭める。そうやって子供たちは大人になっていく。

自分に関する様々な選択を他者に任せるのは、生きることを放棄することを意味します。なぜならば、自分の成長にも幸福にも繋がらないからです。日本では皆んなが皆んなの意見に従う。だから多くの人が自分の成長にも幸福にもつながらない大きなデフレスパイラルの大渦に飲み込まれている。


多数派の専制を打ち破るには、変わった人間(異分子)をたくさん作ることです。人は一人一人異なる。全ての人に当てはまるものはない(it is OK to be different)。世間の慣習に当てはめることばかりやっていると個性は育ちません。成長しないし幸福にもならない。個性的な人間になることによって多数派の専制を打ち砕く。

昨今スローガンのようにあちらこちらで叫ばれる多様性(ダイバーシティ)って、本来は個人の自由や個性を尊重することにあるのです。

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2021年7月3日土曜日

不幸にならないために

公園のアガパンサス

幸福論というのは高校生の頃から考えているテーマの一つです。

大人になっても自律・自立しない場合、幸福も誰かが定義してくれて、いつか与えてもらえると思うことになります。日本はポストコロナで明るい未来に向かうか、それともこのまま気づくことなく沈み続けるのか、崖っぷちに立っていると思われます。

自然との共生、情報化(デジタル化)、異文化コミュニケーション、個と公共、教育、文化の問題。どれをとっても一人一人が自分の「幸福」とか「生きている意味」を考えないと、パラダイムシフト(革命的な変化)は起こらないのです。それは日本の場合、幸福に関しても以下の壁が立ちはだかるからです。

①過度な従順
②他人事意識
③専門知識偏重
④浅い目的意識
⑤希薄なアイデンティティ

特に「自然との共生」は幸福と密接に関係してます。他者が人間だけだと相手の感情が働くからストレスがたまります。自然だってフレンドリーな場合もあれば脅威になる場合もありますが、農業などを通じて自然にふれると心が豊かになるのです。

少しでも日本の未来が良い方向に向かうため、一人でも多くの人を巻き込んで反抗を続けていきましょう。

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