納豆ごはんスペシャル
ポストコロナの世界で大きな争点となるのは、やはり「個と公共の問題」でしょう。
日本は個人の自由が最大限認められている、そして平等意識も極めて高い。それでも国民は「もっと!」と叫んでいる状態だと思います。自己中人間が大量に生産され、常に政治や社会に不信感を募らせている。時の権力に立ち向かうことが民主主義だと思われている。それが日本の民主主義の本質じゃないでしょうか? そもそも資本主義と民主主義は相いれないのですが、なんとか均衡を保つには個々人の倫理観、そして、それを育む教育が大事なのですが、日本の教育は受験システムに縛られたままです。
そうであるとすると、「個と公共の問題」を乗り越えるのは並み大抵のことじゃない。しかし、どうにか乗り越えていかないと、ポストコロナの世界で置いてきぼりを食らうでしょう。
「国民の魂はすっかり柔らかく敏感になって、ほんのちょっとでも抑圧が課せられると、もう腹をたてて我慢ができないようになるのだ」( プラトンの『国家』 )。
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