2020年2月24日月曜日

submissive(服従的) ということ

全くsubmissiveじゃないチャーリー

第92回アカデミー賞の「メイクアップ・ヘアスタイリング賞」をカズ・ヒロさんが受賞しました。カズ・ヒロさんは昨年に米国の市民権を取得し、現在は日本国籍ではなくアメリカ国籍でlす。

授賞にあたり日本の記者から「日本での経験が受賞に生きたか」と問われ、こう答えた。

"Sorry to say but I left Japan, and I became American because I got tired of this culture, too submissive, and so hard to make a dream come true. So that's why I'm living here. Sorry".

これを日本のメディアの多くは、以下のように紹介した。

「こう言うのは申し訳ないのだが、私は日本を去って米国人になった。(日本の)文化が嫌になってしまい、夢をかなえるのが難しいからだ。それで(今は)ここに住んでいる。ごめんなさい」(朝日新聞デジタルより) 。

この日本語訳は「too submissive」を翻訳していません。

武漢ウィルスの政府対応やメディアを見ても too submissive だと感じます。日本を飛び出して海外で活躍する日本人は多かれ少なかれ submissive に対する反抗がスタートじゃないでしょうか? それが若い人たちの共通の価値観になり連帯感が大きくなって日本が変わって欲しいと思います(文化を壊すと言うのではなく)。

敗戦後アメリカの占領政策が120%思い通りに行ったわけですが、それには日本人の too submissive な態度があったわけです。いま、全米が注目するアカデミー賞の受賞舞台でのカズ・ヒロさんの発言は敗戦後の日本の「国家なき民主主義」の末路をついています。

魂なき労働は人生を窒息死させる」と言ったのはカミュでした。

カミュは submissive に対する嫌悪感がモチベーションでした。カミュは戦争や当時の体制に反抗した(レジスタンス)のだろうと思う。それが小説を書くモチベーションになりました。

我慢できないという感情を共有し連帯感が生まれる。今の日本社会には非常に希薄なものです。恐らく受験システムのおかげで中学から高校にかけて反抗さえする暇(閑暇=レジャー)が無かったのでしょう。中学時代の反抗がないと大人になっても submissive で虚無的な人生になるのだと思います。中高生の時の反抗(キライと思った感情)が価値観、つまり自己を形成する。決して、学校や先生が自己を形成するのじゃない。

「反抗」というと大げさになるから違和感くらいでいいでしょう。例えば、中学の英語の授業に違和感を感じたら自分で納得のいく方法を試行錯誤すればいい。同じように感じる仲間と連帯が生まれる。そうやって自己が形成されていくのだと思います。それは自分の行動範囲が拡がる中学時代です。私の中学の頃は学校という体制に対する幼稚な反抗だったのですが。。。でも、それが60を過ぎても続いています。

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