2018年6月26日火曜日

テネシー州ナッシュビル紀行 6

ナッシュビル パルテノン神殿

パルテノン(Parthenon)は、ナッシュビルに作られたアテネのパルテノン神殿の原寸大レプリカです。1897年、テネシー州制100周年記念万国博覧会のために建てられました。忌野清志郎、生前最後のアルバムはナッシュビル録音でした。レコーディングの様子をおさめた写真集にはパルテノン神殿で撮った清志郎の写真も掲載されています。

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シンギュラリティやAIが日本でも大いに議論されているようですが、私は大きな違和感を感じています。それは、知能(intelligence)と知性(intellect)をごちゃまぜにしていることです。人工知能は知能であり人間にできないことが可能です。それは、高速に大量のデータを処理することです。しかし、知性というのは人間のものです。反省とか振り返りとか、要するに、自己認識の範疇なのです。今回のトリップで驚いたことの一つは、アメリカでは哲学まで形式化数量化の学問にしようとしていることです。

アメリカの矛盾は自分たちはナンバーワンで永遠に不滅だと思っていることです。「More もっと!」と永遠に要求する「足るを知らない病」です。これはアメリカ特有の、金持ちが神に祝福されていてエライという考えです。端的にはトランプさんですね。シンギュラリティって、アメリカの金持ち層(エリート層)の発想にぴったしなのです。

新聞など日本のマスメディアやコメンテーターが表層的な理解だけでシンギュラリティやAIを取り上げているのは非常に滑稽です。ここでも手段と目的の取り違えが起こっているのかも知れません。

清志郎の人間性は全面的に数量化や形式化を受け入れるような単純なものではないのです。哲学や文化を定量化形式化してAIに委ねるなんて、アメリカの知識層にしかできない発想です。ナッシュビルの街おこし(NashvilleNext)でナッシュビルのアナログ文化を失って欲しくないですね。

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