2017年2月20日月曜日

木犀肉(ムーシーポーク)



友人が中国東北地方特産の木耳(きくらげ)を持ってきてくれました。さっそく木犀肉(ムーシーポーク)を作ってみました。本場のきくらげで作ると木犀肉も本物の味に近くなるものですね。非常感謝了!


北京市の西郊に木犀地という地名のところがあります。

中国の国家統計局・国家計画委員会のデータセンターはこの木犀地にあり、1980年代の前半は頻繁に足を運びました。当時、ビルの横に小さな河が流れ金木犀が咲いていました。釣りをする人がいたり、橋のたもとには餃子の屋台が出て、統計局の人たちと一緒に餃子を買いに行ったものでした。2001年、15年ぶりに北京を訪れたときには、高層ビルが林立し高速道路も走り、舗装されていない金木犀の咲く川沿いの道は影も形もなくなっていました。

木犀肉の木犀(ムーシー)は金木犀の花。「卵の黄色が金木犀の花の黄色と同じことから、きくらげ・ほうれん草・豚肉・卵の炒め物を木犀肉というんだよ」と、統計局の中国人に教えてもらいました。

明治維新からの日本の近代化には大いに問題があったのでしょう。しかし、1980年代後半から今に至る中国の現代化は更に大きな矛盾と問題をかかえています。「文化は、物が変化する様には決して変わって行くものではない、人間が成長する様に発展して行くものだ」と言ったのは小林秀雄ですが、果たして、近代から現代の中国には小林秀雄のような人生を語る思想家は存在するのでしょうか?

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2017年2月13日月曜日

芥川龍之介の猿蟹合戦

兵庫県香住港から松葉ガニが送られてきました。

日本の民話である『猿蟹合戦』をパロディにしたのが芥川龍之介です。  

とにかく猿と戦ったが最後、蟹は必ず天下のために殺されることだけは事実である。語を天下の読者に寄す。君たちもたいてい蟹なんですよ。


『猿蟹合戦』 芥川龍之介 大正12年2月

もとの民話では、ずる賢い猿が柿の実をだましとって善良な蟹を殺害するのですが、蟹の子供が蜂、臼、栗の助けをかりて猿をボコボコにやっつけて殺してしまうという結末でした。

芥川龍之介は、私憤による殺人は大罪だ。罰するのは国家だけという法治の考えを強調したのか、仇討ちをした子供の蟹を度重なる裁判の結果死刑に処す後日譚を書きました。

蟹の猿を殺したのは私憤の結果にほかならない。しかもその私憤たるや、己の無知と軽率とから猿に利益を占められたのを忌々しがっただけではないか? 優勝劣敗の世の中にこう云う私憤を洩らすとすれば、愚者にあらずんば狂者である。

封建時代のモラルに支配された精神を近代国家のものへと自ら変えていく時代をパロディにしたのでしょう。 民主主義は昭和の戦争後にアメリカ占領軍が持ち込んだものではなく、日本には大正時代からあったのです。

焼きガニも食べました。焼きガニのほうが旨かった!

2017年2月10日金曜日

知足(ちそく) ~ 足るを知る


ただ漠然と、人の一生というような事を思ってみた。人は身に病があると、この病がなかったらと思う。 その日その日の食がないと、食ってゆかれたらと思う。万一の時に備えるたくわえがないと、少しでもたくわえがあったらと思う。 たくわえがあっても、またそのたくわえがもっと多かったらと思う。 かくのごとくに先から先へと考えてみれば、人はどこまで行って踏み止まることができるものやらわからない。 

『高瀬舟』 森鴎外
1916年



すでに所有しているもので満足することを知らないのはアメリカ人の特性だったのですが、こういった感情についても、日本は四半世紀遅れてアメリカを追いかけているような気がします。

もっと快適にしたい、もっと愛し愛されたい、もっと知識が欲しい、もっと所有物を増やしたい、もっと美味しいものが食べたい、もっと楽しみたい、、、。 幸福と快楽を倒錯したように「もっと~!」を獲得するためだけに情熱を燃やす。

恐らく感謝する気持ちが足りないのでしょうね。自分のモチベーション(原動力)が何処から来ているのか? 「もっと」だけがモチベーションであれば、年をとるごとに利己的な傾向が強まるでしょう。知足(足るを知る)を意識すれば、他人に目を向けることができるのかも知れません。

超高齢化社会で考えなければならない事って、こういったことじゃないでしょうか?

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