君のことは守ってあげるよ
日本はあらゆる意味で危険がいっぱいです。 インフラの老朽化も大問題だし、エネルギー問題や環境、自然災害 等々 枚挙に暇がない。 不謹慎かも知れないが、その中でも地震は一番わかり易い。 日本列島の危険な状況を冷静に認識して可能な限りの防衛策を講じるのが通常のアプローチでしょう。
例えば、日本人の組織を見て感じることに、どうしても「手段が目的になる傾向」があります。昭和の日本軍を生み出した日本人の性質って、戦後は「会社」に引き継がれて今でも何ら変わっていないのではないかと思うのです。 PDCA(plan-do-check-action)のPDだけを高速に回すから(これは手段の目的化です)、何度も同じ失敗を繰り返してしまう。 計画をたてて実行することの繰り返しで一年が慌ただしく過ぎていくのです。 過去を消し去る、または、自己欺瞞に終始する。 特に、昭和の戦争後、ここ70年に顕著だと言えるのかも知れません。
みんなが当たり前だと思っている社会インフラを確保できなくなったとき、Vision を打ち出すことの苦手な日本人はどうするのでしょう? 経済的合理性の観点からだけではなく日本の文化(宿命?)に立脚した Vision を明確にし、予防的なインフラ投資を国家レベルで行うべきであり、それが自然に対応していくということだと思います。 それは、決して自然を克服するということじゃない。
僥倖の時代が過ぎ去った今、現代の日本の知性、つまり知識人と言われる人たちはどう考えているのでしょうか? 政治家は? それを選ぶ国民は?
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