2011年7月30日土曜日

嵐の前でも猥雑?

上海の排骨麺(パイコー麺)

模倣からはじまったのでしょうが、いまや、日本のラーメンは「ラーメン道」、日本人の「way of life」(氷山の海面下)のようになりました。 命を賭けて「湯切り」するラーメン屋さんの姿は、ここ上海ではありません。

昨日(金曜)、上海の街角には武警(武装警官)の車両が出ていました。 嵐の前でも静けさではなく、いつものように猥雑なだけです。 それが一層不気味です。1989年の天安門事件が更に大きなスケールでやって来るのでしょうか?

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上海で抗議集会呼び掛け 31日には全国各地でも?
2011.7.29 22:09

中国高速鉄道事故の犠牲者に哀悼の意を示し、鉄道当局に抗議するため、事故のあった線区を 管理している上海鉄道局の前で30日朝に集会を開催しようとの呼び掛けがインターネットのサイトに書き込まれたことが29日分かった。この書き込みは既に 消されており、当局が規制に乗り出したとみられる。

また、今回の事故を機に共産党一党独裁の打倒と民主化を求め「中国ジャスミン革命」集会を31日午後に全国各地で開くよう再び呼び掛ける別の書き込みも現れた。 香港から発信されたとみられる。中国当局が警戒を強める可能性があるが、大陸では規制でサイトが開けないため、どの程度、メッセージが広がっているかは不明だ。(共同)

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2011年7月29日金曜日

模倣できなくなった?

夕方の静安寺公園 (上海)

高速鉄道事故で、中国の温家宝首相は28日午後、記者会見し、「運行速度が速ければ速いほど良いのではない。安全第一であるべきだ」と述べ、運行速度を最優先してきたことへの反省を示しました。

言論統制されている中国ですが、制限されていてもインターネットのおかげで、中国共産党をかなり慌てさせています。 わが社の共産党員の若者たちも「共産党にはがっかりした」と、今度ばかりは批判的です。 上海のホテルではNHKの海外放送を見ることができます。 従来であれば、中国に不利なニュースの場合、いきなり画面がブラックアウトしていたのですが、今回はそれがないですね。 画期的なことです。

小林秀雄は、『雪舟』(昭和25年3月)で以下のように言っています。

「かつて上海の銭痩鉄さんの許で、顔輝筆「彗可断臂図」というものを見せてもらった事がある。 雪舟の絵と全く同じ構図であり、恐らく雪舟は、この種のものに倣って作画したのであろうと思われたが、模倣によって如何に異なった精神が現れるかには驚くべきものがあった。 顔輝の絵も見事だと思って眺めていたが、その間しきりに雪舟の絵が思い出され、どうも雪舟の方が立派だと思えて来てならなかったのである」。

中国は確信犯的ですが、今の日本はあらゆる点で真贋判定ができなくなったようです。 模倣すらしなくなった?

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2011年7月27日水曜日

模倣は独創の母なり

今朝の上海 静安寺

今週は上海に来ています。 暑いですね。 でも、ビルの中はクーラーがギンギンに効いていて、昔の香港のようです。 さて、中国の高速鉄道が話題になっています。 私のようなレイムダックにとって、上海の街の中を歩くのが、実は、一番危険なのですよ。 歩道をヨタヨタ歩いていると、前から堂々とバイクがやって来ますからね。

小林秀雄は、『モオツァルト』(昭和21年12月)で、以下のように言っています。

「模倣は独創の母である。(中略)模倣してみないで、どうして模倣出来ぬものに出会えようか」。

完璧に模倣できた時点が、プロフェッショナルのスタート・ポイントになります。 小林秀雄は、モオツァルトのことを言っていますが、私はこう言います。 エリック・クラプトンだって、ジミー・ペイジだって、ジェフ・ベックだって、一流と言われる世界のギタリストは、黒人ギタリストのコピーからはじめたのです。 完璧にコピーしてから、独創性を出していったのでしょう。

果たして中国はどうでしょうね? 完璧にコピーできるようになるまで、まだまだ修行が足りないか?

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2011年7月25日月曜日

今、問われていること

戦艦大和が建造された呉港のドック

「それは呉の闇市から始まった」。

東映映画 『仁義なき戦い』 の冒頭は、原爆のキノコ雲のシーンからです。夏になると、なぜかシリーズを通して見たくなります。 以下の5つの作品で、昭和21年から昭和44年頃までの日本をカバーしています。 ②は番外編なので、①、③、④と⑤の4編を見ればいいでしょう。

① 仁義なき戦い(1973年)
② 仁義なき戦い 広島死闘編(1973年)
③ 仁義なき戦い 代理戦争(1973年)
④ 仁義なき戦い 頂上作戦(1974年)
⑤ 仁義なき戦い 完結編(1974年)

戦争から暴力へ、暴力団の抗争、暴力団と占領軍の関係、暴力団と警察や地方議員との癒着。 朝鮮戦争を背景に日本は復興して行きます。 その後、暴力団は政治団体へと進化します。 世界では、ベトナム戦争が起こり、冷戦を経て東西ドイツの統一、ソ連の崩壊から経済のグローバル化と中国の台頭、湾岸戦争が起こり、2001年にはアメリカ同時多発テロ事件が発生しました。 日本はどうでしょう、高度成長からバブルへと。 バブル後の失われた10年(lost decade)は、10年が20年になり(another lost decade)、さて30年目になるのでしょうか(the third lost decade?)。

『仁義なき戦い』の巻末の一行は、「つまらん連中が上に立ったから下の者が苦労し、流血を重ねたのである」です。

いつまでやるんでしょうね? 氷山の下の部分、つまり、日本という国家や日本人の生き方の部分が問われていることに気づいて欲しいですね。

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2011年7月24日日曜日

第四のお台場 ~ 天王洲アイル

金曜は天王洲アイルでした。

ペリー将軍の恫喝を受けた江戸幕府が、あわてて構築した7つの台場の第四台場があったところです(第四と第七は未完に終わった)。 お台場とは砲台のことです。



そもそも、マシュー・ペリーの来航から日本の運命は大きく変わったのです。
過去のことを上手に思い出して、未来に繋げていってほしいものです。


後ろは、品川のオフィス街。 右側は、東京海洋大学です。 写っていませんが、右奥のシーフォート・スクウェアにお台場の名残をとどめる石垣が少し残っています。

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2011年7月23日土曜日

知性の奴隷

氷山の絵を見ていて、小林秀雄の『無常という事』を思い出しました。高校の教科書に載っていましたね。 何を言いたいのか、さっぱり分りませんでした。 実は、今でもよく分らないのですが、、、。

小林秀雄は、「記憶するだけでなく、思い出す事が出来ることが大事で、それも、上手に思い出す事が肝要なのだ」と言っています。 つまり、氷山の海上に見えている部分が「記憶するだけの部分」で、海の中に隠れている大きな部分が「上手に思い出す部分」ではないかと感じました。 『無常という事』の最後のセンテンスは、「現代人には、無常という事がわかっていない。 常なるものを見失ったからである」です。 この、「常なるもの」が、氷山の隠れている部分で、人であれば生き方、国であれば国の成り立ちや歴史、つまり、文化のようなものではないかと思えるのです。

小林秀雄が『無常という事』を書いたのは昭和17年、ミッドウェー海戦が終わりガダルカナル戦が始まるまでの間です。 小林秀雄が、ミッドウェーの戦果を大本営発表通り、「勝った、勝った、また勝った」と承知していたのかどうか分りませんが、鋭い嗅覚の小林秀雄ですから本質は理解していたのでしょうね。 戦後、昭和25年の『私の人生観』で、「知性の奴隷となった頭脳の最大の特権は、何にでも便乗出来るという事だ」と言っています。

戦後の日本は、知性の奴隷を育むことに思いっきり偏っていたのではないかと思います。 昭和の戦争に向かう時代とは違いますが、本質的にはあまり変っていないのでしょう。 何れにせよ、氷山の海の上に出ている部分だけを見ているように感じて仕方がないのです。

英語版です(息子に訳してもらいました。「教養」をどう訳すか困ったようです)

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2011年7月21日木曜日

神の島

女子サッカー選手が帰国しました。 試合中の表情と違って別人かと思いました。 やはり、試合中は自己と戦う表情でした。 素晴らしい。 それにひきかえ国会での政治家の表情は醜いですね。 あくまでも自分は正しいと勝手に思い込んだ顔だからでしょう。 だから、いつまでたっても「私なりに」を連発する。 新入社員の言い訳じゃないんだから、やめて貰いたいものです

宮島の神鹿

安芸の宮島(厳島神社)は、島そのものが神です。 鹿は神使(しんし)と言って、神の使者だそうです。敗戦直後、占領軍の兵士たち(アメリカ・イギリス・オーストラリア)がハンティングの対象として撃ちまくっていたとか。 日本の神に対する冒涜ですね。 とんでもないことです。 彼らにとってインディアンも日本人も鹿も大差なかったのかも知れません(占領時代の話ですが、、、)。

戦後、厳島神社の鹿は占領軍のハンティングによって激減したために、奈良公園の鹿を人為的に移入したそうです。


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2011年7月19日火曜日

インディアンの逆襲

デッキのパセリ

女子サッカーがアメリカに勝ちましたね。 最初から最後まで見ていました。 早起きの私にとって午前3時や4時はゴールデンタイム、全く問題ありません。 今年は、全英オープンゴルフが面白くなかったので(お目当ての選手がみんな予選落ちした)、 スウェーデン戦から女子サッカーを見ていました。 観戦していたかいがありました。

ヘアーバンドのせいか、最初のほうは、日本チームが騎兵隊に蹴散らされ逃げまどうインディアンのように見えたのですが、逆襲して最後は勝ち名乗りを上げました。 痛快でしたね。 私はサッカーの技術的なことはわからないので、前半は大人と子どもの戦いに見えたのですが、日本人選手の中には欧米のチームで活躍している選手もいるのですね。 やはり、一流選手の中で鍛えられないとダメです。

アメリカメディアの決勝戦の報道を見ていると、アメリカ人は日本人に好意を持っているなと感じます。 あのNY Timesだって311後は優しい記事ばかりです。 インディアン同様、日本人をこてんぱんにやっつけたことなんて、すっかりと忘れ去っているのでしょうね。

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2011年7月18日月曜日

「海の日」って?

海の日、、、、 馴染みがないですね。 ネットで調べると、「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国家日本の繁栄を願う」ということだそうです。

上のスライドは、人生の荒波を乗りきっていくには知識だけでなく、生き方そのものが大事だということを説明しています。 人の生き方のなかには、人間交際を中心に、教養、趣味、余裕、無駄などが含まれています。

国も同じだと思いますよ。 国の生き方、つまり、それは、国のアイデンティティーであり文化です。 国民の祝日ってそういうものを代表しているものだと思っていました。 通常、そういったものは、侵略者(または、戦勝国)が先住民(または、戦敗国)から剥奪するものなのに、自分から進んで放棄したり意味の無いものにする必要はないと思うのですが、、、。

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2011年7月17日日曜日

武蔵野の祭り

武蔵野市立図書館前のやぐら

日本伝統の念仏踊り、盆踊り。 これも立派な日本の文化です。 盆踊りは秋の季語、武蔵野の盆踊りはこの週末でした。

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2011年7月16日土曜日

節電アナウンス

JR中央線快速が新宿駅を出るとすぐに自動録音の車内放送が始まりました。

「JR東日本をご利用くださいまして有難うございます。 この列車は中央線快速高尾行きでございます。 次は中野、中野から高尾までの各駅に停まります。 三鷹駅で中央特速の待ち合わせがございます」。

ここまでは自動録音のアナウンス。 直後に、「ご迷惑をおかけしております。 節電のために、新宿駅を出たところで車内の照明を消させてもらいます。 足元が暗くなりますので、乗り降りの際には足元に十分にご注意ください。 電車とホームの間が空いております。 節電のために車内の照明を消させてもらいます。 節電にご協力ありがとうございます」。

全ての車内放送を記録していないので、詳細には忘れてしまいましたが、上のような内容のアナウンスを何回か繰り返します。 そして車内放送は、「まもなく中野に到着します。 お出口は左側です」という自動放送に切り替わりました。

つまり、 新宿駅から中野駅まで、ずーっと車内放送が流れていたのです。 加齢による視力障害がある私にとっては(簡単に言うと老眼ですが)、暗くて本も読めないし、暑さのせいでボーっと節電アナウンスを聞いているだけでした。 周囲の人たちをみても、わたしのように怒っている様子の人はいないし、やはり、 自分の精神修養が足りないのかと感じた次第です。

昼のインスタントラーメン

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2011年7月14日木曜日

『1984年』 ふたたび


これだけ暑いと、「甘酸っぱい辛い」ものが美味いですね。冷やし中華は、中国では「日式冷麺」といいます。 最近は中国でも冷たいものを食する人が増えました。

日本は、ますますジョージ・オーウェルの小説『1984年』のディストピアになってきました。 ユートピアのような日本列島が、実は反ユートピアだった。 恐ろしいですね、怖いですねぇ。 自分の都合だけで記者会見を開く総理大臣なんて、権力欲が自己目的と化したオブライエンですね(オブライエンは『1984年』の登場人物で党の高級官僚)。

もうすぐ地デジ化、これって、もしかしたら『1984年』の双方向テレビジョンである「テレスクリーン」だったりして。そうであれば、国民一人ひとりが当局によって行動を監視されるようになる、、、。 節電というスローガンで増幅され、過酷な暑さで思考停止に陥った国民にとって、もうどうでもいいか。

(1年前のブログ、『ジョージ・オーウェルの1984年』)

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2011年7月10日日曜日

凌霄花(ノウゼンカズラ)

三鷹の森 スタジオジブリのノウゼンカズラ

「ノウゼンカズラが咲くと梅雨が明ける」と言われたそうです。 漢字で書くと凌霄花です。パソコンで「のうぜんかずら」と入れてカナ漢変換すると、ちゃんと「凌霄花」と出てきました。優秀ですね。 中国語だと lingxiaohuaです。 凌霄とは、天まで届くという意味です。

凌霄花なんて、私はこの年になるまで知りませんでしたが、漱石も龍之介も子規も鴎外も、明治の文豪たちはみんな作品で使っています。

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2011年7月9日土曜日

プライドへの依存

広島原爆ドーム

エリック・ホッファーのアフォリズム(格言)は難しくてよく分かりませんでした。 ところが、今の日本にいると、私のような凡人でも、かなり理解できるようになりました。

自尊心(self-esteem)は、自らの潜在能力と実績から引き出されるのに対し、プライド(pride)は、もともと自分にないものと一体化して感じる価値の感覚であるそうです。 例えば、自分を空想のリーダーと同一化して勘違いしてしまう。 そして、自分に将来性と潜在的な能力がなければないほど、プライドへの依存は不可欠となる。 日本人の場合、このプライドの探究も集合体で、一度に一方向に進む傾向にあるのが恐ろしい気がします。

エリック・ホッファー 『情熱的な精神状態』

自立している人は、自尊心がある限り安定しています。自尊心を維持することは連続する辛い仕事です。そして、その仕事は個人の力や心の資源を全て奪ってしまいます。 日々、自らの価値を証明し存在を新たに正当化しないといけないのです。

理由が何であれ、自尊心が失われた場合、たとえこれまで何とか自立していた人でも、非常に崩れやすくなります。 単に将来性のない個人であっても、自尊心の危険な代用物、つまり、プライドを追いかけることに邁進するようになるのです。 全ての社会的な不安や経済的な衰退は、自尊心の危機に端を発します。 要するに、多くの大衆がいとも簡単に結束するような大きな試み(例えば、政権交代の情熱的な精神状態)は、自尊心の代替物としてのプライドの探求なのです。 

The individual on his own is stable only so long as he is possessed of self-esteem. The maintenance of self-esteem is a continuous task which taxes all of the individual’s powers and inner resources. We have to prove our worth and justify our existence anew each day.

When, for whatever reason, self esteem is unattainable., the autonomous individual becomes a highly explosive entity. He turns away from an unpromising self and plunges into the pursuit of pride-the explosive substitute for self-esteem. All social disturbances and upheavals have their roots in crises of individual self-esteem, and the great endeavor in which the masses most readily unite is basically a search for pride.


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2011年7月8日金曜日

一株の紫陽花


紫陽花は多くの作家が作品に書いています。 古くは万葉集にも出てきます。 太宰治の『雀』にも紫陽花が効果的に使われています。

太宰治 『雀』 (1946年)

あれはもう初夏の頃で、そろそろれいの中小都市爆撃がはじまって、熱海伊東の温泉地帯もほどなく焼き払われるだろうということになり、荷物の疎開やら老幼者の避難やらで悲しい活気を呈していた。

その頃の事だが、る日、昼飯後の休憩時間に、僕は療養所の門のところに立ってぼんやり往来を眺めていた。日でり雨というのか、お天気がよいのに、こまかく金色に光る雨が時々ぱらぱらと降って来るが、道路に腹がすれすれになるくらいに低く飛んで飛び去る。

僕はあの時、何を考えていたのだろう。道の向う側の黒い板塀の下に一株の紫陽花が咲いていて、その花がいまでもはっきり頭に残っているところから考えると、いは僕はそのとき柄にもなく旅愁に似たセンチメンタルな気持でいたのかも知れないね。

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2011年7月7日木曜日

もやちゃー入りラーメン


最近の私のブログは面白くないですね。 なぜだろう、、、。 ちょっと上から目線でエラそうだからでしょうか。

三島由紀夫は「死ぬには大義がいる」と言って死んじゃいました。 私は、生きるためには自分に自信がなくちゃいけないと思います。何だっていいんですよ。 他人が認めなくてもいい。 自己満足でいいから自分を信ずる気持ちが大事なのです。 自分は生きる価値がある、人生は楽しいと思えばいい。

ブログが面白くない理由は、もう一つあります。

水戸のご老公をロールモデルとする私としては、責任転嫁はしたくないの
ですが、日本の政治があまりにもお粗末で、皮肉の一つも書きたくなるからです。 私のような老百姓は自己満足の自信でいいでしょうが、一国のリーダーがそうだと困っちゃいますね。 国民はたまりません。 でも、国民のレベルにあった政府ではないかと言えば、、、、。 おっと、やめておきましょう。

写真は、自家製もやちゃー入りラーメンです。もやちゃーは、もやしとチャーシューの炒めものでネギとニンニクが少々入っています(ニラを使ってもかまいません)。 もやしはフライパンの火を消してから入れましょう。 余熱で十分です。 このままビールのつまみでもいいのですが、ラーメンにのせるとこれがまた美味い! 自己満足の自信で気持ちが高揚します。

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2011年7月4日月曜日

(続)太宰治のこと

久しぶりに間近で見た雀 @ 東名 富士川SA

6月13日は太宰治の命日でした。
玉川上水に入水自殺をしてから63年目です。

敗戦から自殺するまでの3年足らずの間、太宰治が書いた作品は、反骨の精神で貫かれています。 一つの情熱から180度転換し、別の情熱的な精神状態に移転した日本を批判しているかのようです。 太宰治は日本の未来に絶望して、そして、最後は自分を信じて自殺したのではないでしょうか? 好意的にとりすぎですか?(一人で死んでませんからね、、、)。

太宰の『雀』は、1946年に発表した短編です。 私には、1979年アカデミー賞を受賞したロバート・デ・ニーロ主演の『ディア・ハンター』とダブってしまいます。それは、2つとも戦争帰還兵が心身ともに負った傷や友情を醸し出しているからです。
著作権が消滅しているので、青空文庫でダウンロードできます。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/2273_20145.html

http://ibg-kodomo.blogspot.com/2010/07/blog-post_29.html
(過去のブログ「太宰治のこと」)。

『冬の花火』なんかを読むと、敗戦直後に太宰が感じた日本と今の日本と何が違うのかよく分からなくなります。

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2011年7月2日土曜日

節電という情熱的な精神状態?

午後10時半の三鷹駅ホーム

エリック・ホッファーは、『情熱的な精神状態』の中で以下のように述べています。

あらゆる情熱的な追究においては、追究という行為自身の方が、追究の対象よりも、はるかに重大なのだ(In every passionate pursuit, the pursuit counts more than the object pursued).

情熱的な態度というものは、外からの刺激に対する反応であるよりも、むしろ内面的不満の発散なのである(The passionate attitude is less a response to stimuli from without than an emanation of an inner dissatisfaction)。

節電に関する巷の声やマスコミの報道を聞いていると、ホッファーが言うところの『情熱的な精神状態』を思い起こします。 節電の情熱は、ホッファーが言うところの「内面的不満の発散」、つまり、日本人全体が「自己逃避」に邁進しているのではないかと考えてしまうのです。 不謹慎ですか?

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2011年7月1日金曜日

サラリーマンの夜

浜松町の夜

久しぶりに夜の浜松町です。 秋田屋さんは健在でしたね。 他にも屋外の飲み屋ができていて、金曜の夜でもないのに、仕事帰りのサラリーマンで賑わっていました。 湿度の高い暑さも手伝って、バンコクのパッポン・ストリートに来たのかと錯覚してしまいました。

日本のビジネスパーソンは、従来型の日本のフレームワークの中では十分に力を発揮するのでしょうが、その前提が崩れると、バックアッププランがないだけでなく、新しい発想で、新しい環境を考慮した、新たな人生戦略を策定する力に弱いと思います。 そういった教育を受けてきていませんからね。 若いサラリーマンには、現実を冷静に判断して、今の日本の閉塞感を打破して欲しいですね。

Being fatalisticもほどほどに。いや、余計なことでした。

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