2019年12月22日日曜日

ブレッドクラム(パンくず)とは?

家で作るローストビーフサンドイッチ

「ヘンゼルとグレーテルは、ある森のなかへ入りました。その道中迷わないように持ってたパンのクズを落としながら進んだ」

みなさんご存知のヘンゼルとグレーテルです。英語でパンのクズ(breadcrumb)は、キャリアアップの道筋を示す例えに使われます。例えば今の仕事をあとどれくらいの期間経験したら、次にどういったポストに就くことができるのか。組織の上司や人事部の指示に従うのか、それとも自分の生涯キャリアを考えながら組織と折り合いをつけながら自分のキャリアを自分で選択するのか?

どんな仕事をしてきたか、これからどんな仕事をしていこうとするのかは重要な事です。20代から30代の前半に意識したほうがいい。他人任せにすると50代の後半で後悔します。履歴書は一貫性があるほうがいい。自分の人生の運転席にいるのは自分ですからね。

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2019年12月21日土曜日

ここがロドスだ、ここで跳べ!


昨日は ibg の忘年会でした。今年は ibg の談話室でファミリー・ディナー。幸せなひと時でした。大きなビジネスの成功(経済的なもの)はなかったですが、確実に幸福だったと感じるのです。豊かな一年だったと言えるでしょう。

子供たちへのクリスマスプレゼントはイソップ寓話の本。忘年会のテーマはイソップから

『ここがロドスだ、ここで跳べ!』。

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2019年12月9日月曜日

セサミストリート

九州は福岡の田舎で中学生だった私はアメリカンニューシネマや洋楽に触発され「いつか必ずアメリカに行くぞ!」と決意したのでした。中学の英語のT先生と決別しセサミストリートをカセットレコーダーで録音して聴くようになりました。ほぼ半世紀前のことです。私には立派な「志」なんて1ミリも無かったのですが、強い「憧れ」があったんのだろうと思います。

志や意志、または単に憧れでもいい、それらが無い場合、「何のために」が欠落した虚無的な日々を送ることになります。

Caroll Spinney, Big Bird’s Alter Ego on ‘Sesame Street,’ Is Dead at 85
Besides the sweet-natured giant yellow bird, he also played the misanthropic bellyacher Oscar the Grouch.

Caroll Spinney, center, at the 15th Annual Sesame Workshop Benefit Gala at Cipriani 42nd Street in New York, in 2017.Credit...Mike Coppola/WireImage
Dec. 8, 2019Updated 9:01 p.m. ET (NY Times)

2019年11月23日土曜日

日本の将来に必要な「知」とは?

チャーリーはドイツ製のドッグフードをやめて
卵焼きや豆腐を食べるようになって復調しました。

30年後の日本を見てみたいけど、残念ながら自分が生きてる可能性はほぼないですね。日本は力(核や軍事力)を持たない弱小国です。自然科学の「知」だけでなく、生き残りをかけて、国際情勢、経済、文化に対する深い知識・知恵や洞察力を身につけないといけないでしょう。

英語や記述式問題じゃなくて、教育において「知育の知とは何ぞや?」ということを考えるべきでしょう。偏差値や点数で序列をつくる教育って何のためにやっているのでしょうか、、、。

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2019年11月10日日曜日

続々 教育について

この夏は体調が悪く病院通いの連続だったチャーリー

日本政府が本当に議論すべきなのは英語教育だけでなく、明治5年からやってる官吏養成教育の是非ですね。かつては年功序列に代表される序列というものが人を支配する手段として非常に有効でした。テストの点数や偏差値も序列です。しかし、我々の住む世界は大きく変わったし変わり続けています。

人材育成も世の中の変化に対応していかなければいけません。これまでは、教えられたことを決められた時間内で言われた通りに実行できる能力の高い人を社会や企業が求めてきました。ところが世界はマスプロダクションからオーダーメイド的な価値に重きを置くように変化してきています。テストの点数による序列だけでは多種多様な人が交錯するクロスボーダーの環境では対応ができないでしょう。

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2019年11月9日土曜日

続 教育について

今年も秋の味覚 ~ 栗と零余子

学校や受験だけが教育の場じゃないのです。要するに「教育≠学校教育」ということを理解していない。官僚型社会人育成プログラム(受験システムのことです)は教育と言えるのか?

世界で軽蔑されない大人になるには、自分で「metaphysical」(形而上的)な修行を積む必要があり、それらは授業をサボって喫茶店で身につくかもしれないのです。

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2019年11月8日金曜日

教育について

本を読む時は濃い鉛筆を持って印をつけながら読むのがいい

教育の機会や教育そのものが多様化しています。オプションは有り過ぎるほどあるわけです。だから、文部省をお上とする上意下達の教育システムでなく、現場に適したプログラムにしたがって自律的な学習を目指すべきだと思います。前提は教員にも自由な時間があることです。

物差しが偏差値だけだと教員もサラリーマン化し学生も自分で考えなくていい。今の受験システムは「教育」とは程遠く官僚型人間の大量生産になってしまいます。いくらイノベーションだ多様化だ生産性だ働き方改革だと声高に叫んでも笑止千万です。

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