2025年4月4日金曜日

「英語ができる」って?(2010年7月のブログ)

http://ibg-kodomo.blogspot.com/2010/07/blog-post_24.html 

これは15年前のブログですが、文章は1990年代初めに書いたものです。今読み返しても英語に関する私の考えは何ら変わることはありません。

英語によるグローバル化の進展への対応なんて中途半端な試みは止めて、学校での英語は選択科目にしたほうが賢明だと思います。それよりも日本語、つまり国語教育に重点を置いた方が長期的には日本人のレベルは上がるでしょう。

私の限られた経験から言えることは、① 概念を獲得し理解し、② 自分の考え(主張)を持つこと、そして、③ 日本人なのだから日本をよく知ることが大事です。それがグローバル化の基礎です。

日本語もできないのに(自分の反省ですよ)英語を使いこなせるようにはなりません。  

福田恒存『國語教室』(昭和35年)
福田さんがこの本で繰り返し説いているのは、

1.文字は決して發音をそのまま寫すものでなく、意味を寫すものである。
2.その觀點に立てば、舊カナづかひは決して習得に困難なものでない。
3.逆に表音主義は國語の音韻體系を根本から破壞するだらう。
4.狂信的なカナモジ、ローマ字論者が國語審議會を獨占して、國語を取り返しのつかぬ混亂におとし入れつつある。

カナモジやローマ字の多様は日本人の思考を多大なる混乱におとし入れましたが、狂信的な英語教育がそれに拍車をかけつつあると思います。

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2025年4月3日木曜日

英語がスラスラ? 無理です。

 
ゼレンスキーの英語とトランプとのミーティング

ホワイトハウスのオーバルオフィスでの公開記者会見です。両者が激しく口論するという前代未聞の事態が発生しました。「ゼレンスキー氏は母語でない英語で会談をしたために、不利な状況に陥った。ゼレンスキー氏は通訳を使うべきだった」という論調がメディア報道の主流のようでした。

私は20年ほどニューヨークに住んでアメリカ人の組織で働いていたのですが、結局は英語はできるようにはならなかったですね。しかし、ツルツルすべって掴もうとすればガブリと噛まれる、そういったサメのようなニューヨーカーと仕事をする上で気を付けていたことがあります。

① 相手よりもゆっくり話す
② I was just wondering if ~~~ で話を始める
③ could と might を多用しセンテンスを長くする
④ 相手の目を見つめる(eye ball to eye ball)
⑤ 絵を描いて説明する(簡単で抽象的なもの。絵を描けない人が多い)

英語がスラスラできなくても以上のことを守ればなんとかサバイブできます。ただし重要な文章(書く英語)は英語が書けるアメリカ人に任せることです。

風下に立たない。負け犬の遠吠えはやらない。臆病と卑怯は世界共通で嫌われるのです。

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2025年4月1日火曜日

ボロのように憂鬱

 
武蔵野市の桜(3月31日)


昨日は曇っていて寒かったですね。曇り空の桜はボロのように憂鬱ですね。『或る阿呆の一生』は芥川龍之介の自死直前の文章です。


隅田川はどんより曇つてゐた。彼は走つてゐる小蒸汽の窓から向う島の桜を眺めてゐた。花を盛つた桜は彼の目には一列の襤褸(ぼろ)のやうに憂欝だつた。 が、彼はその桜に、――江戸以来の向う島の桜にいつか彼自身を見出してゐた。

芥川龍之介 『或る阿呆の一生』 (1927年)。

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