2024年4月29日月曜日

メディアの罪

 

自らの「運命」に責任を持つのが近代国家の国民です。『阿Q正伝』(1921年)の主人公である阿Qは全くそうした意識がない受動的な人生で最後には処刑されてしまいました。 魯迅は当時の中国社会を痛烈に批判し告発したかったのでしょう。 魯迅は祖国を愛する愛国者だったのです。

今回の東京15区の補選は日本の現状を非常によく表しています。もちろん政治家や候補者のレベル(リテラシー)の低さ、それを支える利権団体、低い投票率が示しているように、知性の高い人たちの虚無的な態度という問題はあります。しかし、メディアの罪は一番大きい。全く腹が立つほど酷いものでした。

日本のメディアが阿呆(ニーチェのいうマスマン)な理由は、仮説を立てて仮説を検証するアプローチが取れないことです。これは恐らく他の日本の大企業も同じでしょう。仮説を立てる前提として客観的な事実関係を確認する必要がある。メディアの存在価値の一つはこの前提作業である筈です。AS-IS を押さえることを省いて、関与する人たちの感情に流される。一番は利権(金)に流されているのですが、強い思い込みで世論を誘導しようとする。それは、自分らが上から目線で特権階級にいるという思い上がりがあるのだろうと思う。

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2024年4月23日火曜日

人間の心得

井の頭通り
 






長谷川幸洋 『ニュースの核心』(2024.4.20)
https://www.zakzak.co.jp/article/20240420-6Z4WRH6FLVNJXM5CTLO3NM7GO4/?fbclid=IwZXh0bgNhZW0CMTEAAR1DXXsUOYCOFQs-mCLiNmDV6JYEdoQ8DEvXLn4odPDdpCYYTQMjKM4OZL0_aem_AU6PH9y5zP_KYOiaZLnvM9y9Z2IiaMcMunYUSEAc7olkEvXITg944fwMPgplajCEQLrqksDgIzfTdzvOITUiWwQf

多くの国が自分の国を守るには、「まず自分自身が強くなり、そのうえで志を同じくする国と連携する、それ以外にない」と気付いているのだ(長谷川さんの記事より)。

日本人も明治の初期には気づいていた。幕末維新を生きた元老と言われたリーダーたちが大正末期から昭和にかけて一人もいなくなって、日本はおかしくなった(もちろん元老たちも完璧ではなかったが)。

「自分の人間関係は自分で構築して、自分が生きやすいようにするためにはどうすればいいかを自分で考える」って、当たり前のことです。それが人間の心得というものです。今の日本にはそれが欠如する極めて幼児性の高い大人が多い。

いま起こっている多くの問題の本質は一人一人の倫理観の問題です。教育の意義とは子供たちに倫理観念を植えつけることでしょう。多くの問題に対する解決策は教育なのです。

日本はここ80年近く、その教育に失敗しました(自主的ドロップ・アウトの私がいうのはこれまで憚れてきたのですが、私も人生の先が見えて来たので、もう言ってもいいでしょう)。


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2024年4月9日火曜日

映画『オッペンハイマー』

 









当時、アメリカの政治家の人間への眼差しの中に日本人は入ってなかった。

ルーズベルト(FDR)のオレンジ計画から開戦、大都市の無差別爆撃から広島・長崎の原爆投下。チャーチルに踊らされたアメリカは、原爆で日本の市民を大量虐殺することによって、仲たがいが始まったソ連を威嚇しようとした。ところが、思ったほど効果はなく朝鮮戦争に至った。軍人であるマッカーサーは蒋介石のように梯子を外された。

原爆を正当化する(justify)アメリカの姿勢は今後も変わらないでしょう。だとすると、少なくとも日本人は、昭和の戦争がなぜ始まって、日本の戦後は「何を忘れて何を忘れさせられたか」をちゃんと教育すべきです。
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『オッペンハイマー』は科学者版『アウトレイジ』だ 込められたノーランの反戦への想い (msn.com)

2024年4月8日月曜日

カエルの卵 ~ 武蔵野水道局から武蔵野市役所



カエルの卵が満開ですね。小雨交じりで早くも散り始めていました。





高齢者って、なんで桜の写真を撮りたがるんだろうね。来年も桜が見れるか、、と考えてしまうのか?