2022年10月31日月曜日

自分らしい生き方を貫く

 


40代を襲うキャリアの危機といったことがビジネス誌の記事になっています。我が国の総理もリスキリングを声高に連呼します。多くの40代は自分を知ることが怖い。40代になって自分の「市場価値」がだんだんと明らかになって、それを受け入れることに躊躇するということらしいです。40代の10年はその後の人生のためにも重要な10年だと思います。精神的にも肉体的にも。

要は、自分らしい生き方を貫けるかどうかだというのが私の結論です。

自分というのは一番不可解な代物です。長期的に日記をつけると、年をとって自分というものが少しばかり分かってきます。人生が長いか短いかは判りませんが、自分とは何者かということを死ぬまで問い続けるのでしょう。

子供の頃に伸び伸びとできていないと、大人になっても自分の可能性は何だと悩み続けるものです。40代の人生の踊り場であれこれ悩んでいると、50代を無駄に過ごして高齢者になって後悔することになります。ご用心!

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2022年10月23日日曜日

自分で選択する大切さ

 


オプションを比較して自分で選択することによって人の人生は大きく変わる。環境を選ぶこともできない運命というのもあるけれど、「毎日忙しくて」とか「親が言っているから」とか「伴侶が反対するから」とか「世間の目が、、」とかを行動の基準(クライテリオン)としても何の意味もないと思います。

誰かに強制されたのでもない、世間の動きに合わせたのでもなく、自分の意志で何をどう選んできたか、人生ってそうやって自分がつくり上げてきたものじゃないですか? 管理職かそうじゃないかは上司の意向ばかりじゃない、自分の意思も大きく影響して今の自分があるのです。

自分で決める自由が大切だからこそ、色んなことに興味や関心を持つことがとても重要なのです。これは男も女も関係ない。仕事をする女性も専業主婦も関係ないことです。日本の「空気」はそれを奪っている。もしかしたら自ら進んで放棄している。それの方が楽チンだから?

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2022年10月22日土曜日

大人になるための第一歩は絵日記

 
マルタイ棒ラーメンで作る博多ラーメン

大人になるための第一歩

人生って物語です。物語の主人公は自分。自分を布置化して(距離を置いたところから見て)自分の位置を確認する。絵日記というのは自分を語ることの第一歩です。自分を語るというのは大人になるための重要なプロセスなのです。それは大人になってから、自分自身の決断や思考力を試すことにつながる。日記をつける(またはエッセイを書く)ことの重要性です。

多くの人と交流し物語を記す

より多く人の話を聞き、より多くの人に語りかけ、様々なことを経験して試行錯誤を繰り返す。そして、自分の人生のビジョンを明らかにしていく。自分の好き嫌いをはっきりさせる。要するに、自分の好みを見つけ自分がどういう人間かを知ることです。

人生の色んなフェーズで時間(時代)を共有する他者がいるから面白くなる。フェーズ毎に自慢できることもあるだろうし、人に言えないこともあるでしょう。それぞれのフェーズの物語に他者が絡んでいる。時間を共有することで信頼と尊敬が生まれる。そうやって単なる他者が友人となる。最終的には自分の老後資金の原資となるのです(原資はお金だけじゃない)。

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2022年10月13日木曜日

価値判断の乱れ

日本はレジリエンスかフラジャイルか?
   

岸田首相の「日経リスキリングサミット」での発言要旨

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA1257J0S2A011C2000000/?fbclid=IwAR01aXsPGZzF9KGKy429EtaQFvWJE_bvC03FR6RsnOOa8aoE5cN59edZ0gY

リスキリングというよりも、教育の失敗が今の日本の停滞の原因になっていないかを検証すべきでしょう。

世界中で近代化の限界にぶち当たったわけですから、国のリーダーには人間や国家にとって最も大切なこと、つまり、どうすれば質の高い価値規範を維持することができるかを議論してもらいたい。それは国家が独立する目的でもあるのです(紀元前にプラトンという人が言いました)。

そうであるならば、一国のリーダーには日本人の価値判断の基準をしっかりと固定して欲しいものです。キリスト教、イスラム教、ユダヤ教でない日本は宗教が国を支えることは難しいので。今の日本は様々な点で、価値判断が乱れていると思いませんか?

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2022年10月3日月曜日

日本語の危機は考える力の危機

ibg『迷子になる地図』は日記帳であり雑記帳です 

文化庁の国語世論調査を受けて、「手書きの大切さ再確認したい」といった記事をあちらこちらで見ました。全体の82%が「国語に関心がある」と答え、関心がある点は「日常の言葉遣いや話し方」「敬語の使い方」が多かったそうです。デジタル機器の進化に伴い、漢字が書けなくなったと感じている人は多いし、日ごろから文字を書く機会は減っているのは事実でしょう。しかし、問題はそれほど表層的なことではないのです。

思考するためには概念の理解が必要です。他者との対話で必要となるのは、先ずは一定の抽象度に高める(abstract)レベルセッティングなのです。他者は自分と100%同じ意見やバックグランドを持っている訳ではないのですから重箱の隅から入ってはいけません。レベルセッティングの後に「概念」と「具体的」を行ったり来たりしながらコミュニケーションします。

漢字を忘れないようにするためでなく、自らの思想構築のために、日記というのは素晴らしいツールです。日記をつけることで、自分の頭の中に様々な概念が集積し世界観ができていくのです。または、自分の世界観を表現するために概念の蓄積があるのです。若い時から日記をつけておくと、高齢者になって自分というのがどういった人間かということも知ることになります。

何を書くか? 普段から問題意識や危機意識がないと、何を書くか何を話すか何を議論するかという内容が決まらない。表現が素晴らしく、ロジックが一貫していても内容がないものとなってしまいます。国語教育の議論はそういった点まで考慮して議論されていないのではないか? だとすると、日本人の考える能力(思考や思想構築)の低下はとどまるところを知らないでしょう。

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