2022年1月30日日曜日

日本は文化や思想を再評価できるか?

      

50数年ぶりに食べました。マルタイ棒ラーメンの再評価です。


「危機」とは人に根源的な思考を求める状況だと言われます。

そのような状況で読まれる本や議論されることは、価値観や文化などの根源的な思想です。日本の場合、そういったものが残っているのでしょうか?自ら放棄し続けて、今ではほとんど無くなりかけていないか?例えば盲目的な英語学習による国語の喪失などです。

近代科学が自明視してきた世界の成り立ちを根源に立ち返って、その在り方を考えようという動きが欧米の知識人の中で起こりました。そういった中でコロナ禍が出現しました。近代のように人間が技術を使って自然をコントロールするのではないという考えです。

明治の近代化で精神の近代化を棚に上げて技術だけを追い求めた日本は、ポストモダン(近代)を考えた上で「禍」の時代の次(ポストコロナ)を考えることができるのでしょうか?

繰り返し言っていますが、日本で近代科学が自明とする価値観の問い直しと、それらを再バランスさせるという考えがでてくるでしょうか? 政治家には価値観をベースにパラダイム(思想の立脚点)を明確にし、ポリシーやどう実行計画を立てて行くかを考えてもらいたい。コロナ禍を機会に日本や日本人の生きる道を考えてもらいたいと思います。

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2022年1月29日土曜日

ウィルスの目的は生存、日本人の生きる意味は?

WHO head says it is 'dangerous' to assume pandemic is nearing end, but says 'acute phase' could end this year

Posted Mon 24 Jan 2022 at 10:12pmMonday 24 Jan 2022 at 10:12pm

ウィルスも「生存」が最終目的だから、宿主を全滅させては意味がない。宿主側は、常に変化するウィルスに対応して免疫機能を発達させてゆくしかない。生物とウィルスの間にはこの鍔迫り合いの連続。

コロナパンデミックというのは数年たってどう振り返られるのでしょう? 日本は世界の議論について行けるのか? 数年後だと私はまだ生きているだろうから、幸い結末を知ることができます。

近代科学が自明とする価値観の問い直しと、それらを再バランスさせる現象であるという考えが日本で出て来るでしょうか?

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2022年1月27日木曜日

今の学校なら落ちこぼれた方がいい?

 

この子たちの将来は?

子供をとりまく環境は教師や周りにいる大人たちの認識レベルに大きく左右されます。教師の仕事は、与えられた環境で、子供たちとできるだけ遊ぶことだと思います。子供=子供+環境(私=私+環境と言ったのはスペインの哲学者オルテガです)、つまり、子供は単に子供でなく環境と一緒になって子供であり、環境と融合しながら大人になって行くのです。

私はここ70数年の日本の教育はロクでもないものだと思っています。

教師(特に若い教師)は「日本の教育はロクでもない」という現実を回避してはいけない。学校教育の目標は変質してしまっているのです。

なぜ学校はあるのでしょうか? 「賢く育てる」の意味も間違っているし「丈夫に育てる」ということは軽視されているように思う。企業経営と教育の関係は、民主主義と資本主義のように相容れない。それをどうバランスするかが重要なのです(特に私立)。テストをして点数によって子供たちの優劣(順番)をつけて、その順番を社会(日本では世間だが、、、)の序列として社会に送り出しているだけじゃないですか。

今の学校で「落ちこぼれ」と決めつけるのはオカシイ。学校の存在意義や教育の目標がロクでもないのだから、そのなかで落ちこぼれても何の問題もない。むしろ落ちこぼれないほうが世界で通用しない大人になる可能性が高い。

- 試験の範囲は決まっている。
- 答案を書く時間は決まっている。
- 満点が100点と決まっている。

狭い枠のなかで、はやく間違いのない答えを出すという人間の育成です。霞が関の官僚がいつまでたっても考えられない幼稚な不祥事を起こし、大企業のリーダーたちがいつまでも優秀な係長の域を出ないのは、日本の学校教育がロクでもないからでしょう。大病院の医者と患者の心が通いあえないのは日本の学校教育がロクでもないからだと言わざるを得ない。

もし日本から創造的なカッコいい大人が出てくるとしたら、そういった大人は恐らくどんなに学校で落ちこぼれても、へこたれないで「世間」に反抗を続ける強い精神の持ち主だと思います。

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