武蔵野市文化会館通りの百日紅
今年は咲かないのかと思っていたら咲きました
ハイデガー(1889 - 1976 ドイツ)は人間を人間と呼ばず「現存在」と言いました。それは人間は一人一人が同じじゃないからです。人は平均的じゃないからです(平均人とはスペインの哲学者オルテガがいった大衆人のことです)。サルトル(1905 - 1980)はハイデガーを参考にしたと言われる実存主義の哲学者です。この3人の哲人は本質的には同じようなことを言っていると思われます。そして、それらは今の日本に対する警鐘のように聞こえるのです。
生きることは孤独で辛い。忍耐も必要です。それを平均的な大衆人の中に紛れることで誤魔化しているのが今の日本でしょう。孤独に向き合い自分で考えるのが哲学であるならば、だから日本には哲学が存在しないと言えます。
哲学なき日本、つまり、形而下だけの物質社会に対し、ハイデガー、オルテガ、サルトルを読み、彼らが一生をかけて悩んだことを共有することで形而上下のバランスをとるのが日本サバイバルのための最初の一歩だと思います。このままバランスの悪いままだと未来永劫どこかの国の奴隷の地位に甘んじるしかないでしょう。
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