2016年11月29日火曜日

精神の近代化

そろそろ4歳、でもあくまでも利己的個人主義のチャーリー

政府主導の働き方改革の意見交換が活発になっているようです。

大前提として、世界と日本の歴史の流れ、その中で日本の特異性を頭に入れておいたほうがいいと思いました。

世界史の流れはご存知の通り、ルネッサンス・・・・➡ 宗教革命・フランス革命 ➡ 近代国家の成立です。 一方、日本は戦国時代 ➡ 安土桃山 ➡ 200年以上続いた江戸時代 ➡ 開国・明治維新です。

ルネッサンス以降の欧州近代精神のポイントは以下の3つです。
  • Humanism(人間主義)
  • Rationalism(合理主義)
  • Personalism(人格主義)
夏目漱石(『三四郎』、『私の個人主義』)や森鴎外(『青年』)など明治の文豪は、日本の近代化に対し問題提起しました。 明治の文豪たちは鹿鳴館の上滑りの大騒ぎを見て、精神の近代化が文明に追いついていないことを憂いたのでしょう。福沢諭吉は『文明論之概略』の中で「文明は手段で文化は目的だ」と言っています。

近代精神の中でも重要な意味を持っているのが Personalism です。 自分自身を目的とする自律的能動的な主体として自分を考えるのです。 カントのいう人格自律の信念です(利己主義でなく利他的個人主義)。 この信念の不徹底な社会は、どんなに表面的な文明が進んだとしても、それは近代社会とは言えません。

惰性的な50代にならないためには、2040代に理想をもって日々の仕事を理想に結びつけて乗り切るしかないでしょう。 明治維新から150年が経ちましたが、多くの日本人は、自己の人格に自律と自由を確信できていないのだろうと思います。 

ヨーロッパの近代化を振り返り、日本の近代化の特異性を検証してみては如何でしょう?

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2016年11月20日日曜日

祭りのあと

能動的で、あくまで主体性の強いチャーリー

魯迅は「阿Q正伝」の中で中国人の自尊心の強さや主体性の無さに警告を発しました。 世界が第一次世界大戦に突入するころです。主人公の阿Qは、革命が何かも知らず「革命、革命!」と唱えれば革命が起こり、何かいいことがやってくるような気がして、とうとう何も解らないまま処刑されてしまいます。

「人間の世の中はもともとこんなもんで、時には首を斬られなければならないこともあるかもしれない」。

自らの「運命」に責任を持つのが近代国家の国民なのですが、阿Qには全くそうした意識がない受動的な人生です。 魯迅は当時の中国の状況を見て痛烈に批判し告発したかったのでしょう。 魯迅は愛国者だったのです。

アメリカ大統領選が終わりました。 祭りのあとです。

民主主義の成れの果てが専制であり全体主義に陥る危険性を含んでいることを世界が理解したのではないでしょうか? 自由と平等が実現できない場合、つまり、明らかに格差が開きすぎた場合、為政者は国民の不平不満を何とかしなければなりません。 そうして辿る道が専制や全体主義なのです。 これは、もちろん私が言い出したことではなく、ギリシャの哲学者プラトンの言葉です。道理でアメリカではギリシャ哲学は人気がない、、、、。

さて、トランプさんは反エリートの期待に応えることができるでしょうか?

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2016年11月6日日曜日

茹でガエル

金曜の夜、歌舞伎町は半分以上が外国人でした

いよいよアメリカ大統領が決まる日がやってきます。

トランプの反エリートと反移民という主張は、イギリスのBREXIT(EU離脱)に至った原因と似ているような気がします。 なんだか世界中が中国の階級闘争みたいになってきました。

世界中で格差と移民が不信や不満を生んでいます。 アメリカと中国が真剣に二極覇権を考え出さないうちに、イギリスや日本が覇権ではない伝統と文化の強い国としてグローバリゼーション後の新体制の中で主導権をとると面白い展開になると思います。

それには日本はどうすればいいのでしょうか?

まずは、矛盾や非論理的なことに対して無条件に降伏する自らの体質を自覚し、それが危機的状況であると認識し、当事者意識をもつことでしょう。 それが混沌とした新秩序の中で生き抜く大前提です(国民も企業も国家も)。

現状が心地よいって、茹でガエル状態以外の何者でもないのです。

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