「日本のナショナリズムは、民族ではなく国民の連帯に基づく健全なもの。日の丸や君が代のもとで一体になる市民的ナショナリズムだ」と肯定する(本文より)。
ケビン・ドーク教授、英語では何と言っているのでしょうね? もしかしたら、英語ではナショナリズムじゃなくて、パトリオティズム(パトリオティズムの語源は「故郷」)を使ったのかも知れません。
国家意識の希薄な日本人にはナショナリティとかナショナリズムとかいう観念は弱いと思います。 でも、郷土愛を根源とするパトリオティズムは強いのではないでしょうか。 日本文化や慣習に対する強い愛着と言ってもいい。 保守すべきものがあると言う事です。
昭和の戦争により国民を酷い目にあわせた国家なんてもう懲り懲りだ。 だから国際社会や国際連合を持ち出して、国家とか国境とか領土に対して無関心になってしまいました。 結果、日本人の多くは自己防衛の感覚が薄らぎ、世界のなかで日本のポジションが見えなくなってしまった。
ところが、世界情勢はバラ色の平和社会になるどころか、至る所でバランスが崩れ、グローバリズムとナショナリズムのせめぎ合いになってきた。
「自分は日本人で日本が好きだから日本を守る」でいいじゃないですか。 それが自衛だし、パトリオティズムだと思うのです。 集団だとか個別だとか、毎日毎日何を大騒ぎしているのか分かりません。
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