2011年5月31日火曜日
嘘をついても悪意がない?
新渡戸稲造は、外国人が日本人を批評し、日本人はとかく嘘をつくというが悪意はない。しかし、日本人は西洋人よりも事実に違ったことを吐く点に至っては、はるかに多いのではないかと述べ、2つの理由をあげています。一つは、普通教育がまだまだ充分でないので、用いる言葉に精確を欠くため。もう一つは、主観的な要素が日本人には甚だ強い、すなわち感情が事実に混じやすいと言うのです。
私は新渡戸さんみたいに立派な日本人でないので、今の日本の政治を見ていると、正直なところ日本人であることを辞めたくなっちゃいます。いつもの発作が出たようなものですが、、、。
原発の問題は、日本だけの問題ではなく地球規模の問題です。中国の若者でさえ日本政府の原発対応に関しては、大きな疑問を持っています。日本政府に悪意があって嘘をついていると思っているよりも、そもそも日本には統治する政府というものがあるのか?というのです。放射性物質の除去に対して国が積極的に動いていないこと、そして、それに対する国民の従順な態度。 もしも、福島県が中国のどこかの省だったら、とっくに暴動が起こっているでしょう(起こったら、圧倒的な武力で制圧するのでしょうが、、、)。
自分の与えられた仕事だけが片づけばそれでいい。放射性物質の対応なんて、担当の誰かがやればいいという考えなのでしょうね。内閣府(原子力安全委員会)、文科省、経産省、、、、。縦割り組織の弊害だと言えばそれまでですが、政府にしても私企業にせよ、こういった問題が無くならないのは、普通教育が不充分というよりも、方向が間違っているか、「主観的」を主導するマスメディアの問題が大きいと思います。
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2011年5月29日日曜日
2011年5月26日木曜日
ビジョン(Vision)とは?
ビジョン(Vision)という言葉は解釈が難しいですね。小林秀雄は昭和25年の講演『私の人生観』で、宮本武蔵の残した文章を引用し、「Visionを日本語にすれば、心眼とか観という言葉が、先ずそれに近い。見ようとする意が目を曇らせる。だから見の目を弱く観の目を強くせよ」と言っています。意味深長です。
目をつむって思い浮かぶ自分の将来像が人生のビジョンです。それは、人生観と言えるかもしれません。複数の人が目をつむって思い浮かぶ情景が同じであれば、ビジョンを共有したことになります。小林秀雄は「今日は、人々が争って見の目を強くする様になった時代である」とも言っています。本質を外していると戦後の復興期を批判しているのでしょう。
先ずはビジョンを描く。それから、「どうしたらできるか(How To Get There)」を考える、それがストラテジー(Strategy)です、つまり、やるべき事とやってはいけない事を分けるのです。後は計画(Planning)をたてて、実行(Execution)する。実行する場合に大事なことは、諦めない(Keep Getting Up)です。基本は自尊心(Self-esteem)で、自分を信じることです。
私はいい加減な学生だったので、「将来何をしたいか、どうなりたいか?」なんて分りませんでした。しかし、「何をしたくないか?」ははっきりしていたと思います。ビジョンなんて明確なものはなかったですが、やりたくない事だけははっきりしていたので、雀の涙ほどですが戦略性はあったのでしょうね、たぶん。
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2011年5月25日水曜日
肉まん(肉包子)を作ってみた
肉まんを作ってみました。
包み方が分らなかったので恰好は良くないですが、非常に美味しくできたのでびっくりしています。作ったあと、YouTubeで「肉包子」で検索してみると、台湾の料理番組で作り方の映像がいっぱい出てきました。次回はもっと上手に作れると思います。
中国語の勉強には料理番組がいいですね。餡はシエン(xian)と発音することも知りました。
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2011年5月24日火曜日
「人を動かす」には
カーネギーの「人を動かす」(創元社)は、社会人になったころに上司に薦められて読む本です。私もご多分に漏れず若い頃に読みました。カーネギーさんは人を励ますことをいっぱい書いています。良い本だと思います。
「人間は自尊心のかたまりです。人間は、他人から言われたことは従いたくないが、自分で思いついたことには喜んで従います。だから、人を動かすには命令してはいけません。自分で思いつかせればよいのです」(本文より)。
ただ、30年以上たって読んで見て、少しばかり違った感想を持ちました。「人を動かす」は、人間関係のノウハウを記したものですが、アメリカで義務教育を受けた人を前提に置いているのでしょう。人間の本質に関する原則なので、時代背景や人種によって差は出て来ないはずなのですが、そうとも言い切れない部分があります。
以前も書きましたが、アメリカの義務教育は自尊心を育むことにあります。自尊心がないとジャングルのような厳しい社会で生き残れないからです。全ての人が優秀でもないし、いつでも成功するわけではない。最後に自分を信じることができないと生きてはいけません。だから、自尊心(self-esteem)が重要になってくるのです。恐らく、カーネギーのメッセージは、self-esteemが確立している若者を前提として、人間関係のノウハウを語っているのだろうと思います。
今の日本では、自尊心が強すぎる弊害を前提としたカーネギーよりも、明治初期に福沢諭吉が啓蒙しようとしたことのほうがピタッとくるような気がします。
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2011年5月22日日曜日
九段の丘から上野を眺める
2011年5月21日土曜日
言葉は用いる人の心を表わす
決算書の署名に九段下の税理士さんのところに行ってきました。わが社は資本主義経済下での会社経営という意味では、ままごとのようなものです。税理士からすると、ボランティアなのか、はたまた、道楽なのか決算報告書にコメントしようがない状況です。しかし、文句をいうのはわが社のスタッフくらいで、社会に大した影響はありません。
国家となると話は違います。
民主主義は行きつくところまで行ってしまい、資本主義どころか、とうとう法治主義まで怪しくなってきました。「国民のみなさまの安心と安全」と声高に叫ばれるたびに、「言葉は用いる人の心を表わす」ということを痛切に感じます。国のリーダーたちを信用することができず、マスコミにより真実に迫るというジャーナリズム精神が存在しないとなると、復興に向けた「国柄」を共有するなんてレベルの話にならないでしょうね。
週末なので、頭を冷やして考えてみましょう。
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2011年5月19日木曜日
2011年5月17日火曜日
最後には誰を信じるのか?
自尊心をうえつけない教育を65年間も継続すると、「最後は自分を信じる」ことをしなくなるようです。とりあえず、長いものには巻かれていたほうが安全だと考えるのでしょうか? 法治国家の意味や資本主義を無視して傍若無人に振る舞っていても、今の日本では政権の支持率が上昇する。政府の暴走を食い止めるには国民の成熟度を上げるしかありません。国民が政治的に無関心である場合、マスメディアの誘導に身を委ねることになり、国は破滅に向かうでしょう。
今回、北京で20代の中国人コンサルタントとナショナリズムについて話をしました。
中国もオープンになったと感じました。同時に、1989年の天安門事件のように共産党の大弾圧があるのではないかと心配にもなります。彼は「党が国家の上にあるねじれ状態は異常だ、まともな国家とは言えない。自分は愛国者であって愛党者ではない」と言い切りました。「ナショナリズムが成り立たない点では中国も日本も同じだね、だから両方とも近代国家になれないんだ」と二人の会話は盛り上がりました。中国にも日本にもそれぞれの国で健全なナショナリズムが芽生え、互いに相手国のナショナリズムを尊重する関係が理想ですが、この二カ国では私の生きている間の実現は無理のようです。
いずれにせよ、精神的にタフになって自分を信じましょう!
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2011年5月16日月曜日
失敗を記憶すること
2011年5月14日土曜日
2011年5月12日木曜日
健全なナショナリズム
健全なナショナリズムは難しいものです。
原発からの放射性物質の拡散状況に左右される状況が続いています。正しい意志と正しい知識、つまり、「健全なナショナリズム」で一刻も早く危機的状況を征圧してもらいたいものです。
2011年5月11日水曜日
北京のビジネス街
アダム・スミスは、「経済的な社会は、それにふさわしい道徳をうみだす」と言い、「商業の発展には『正直であること』と『時間を守ること』の二つが大前提となる」と主張しました。これらの道徳をわきまえた正しい品性というものは、国によって大きく異なります。アダム・スミスなんて聞いたこともない中国の若いビジネスパーソンは、自分の利益だけを追求していくのか、それとも経済の発展にふさわしい徳性を養っていくのでしょうか?
中国の問題はウルトラ格差と汚職です。大学生の就職ランキングは1位が公務員。理由はワイロで私腹を肥やすことができるからだと聞きます。明日は四川大地震から丸3年。この地震による死者は6万9197人、負傷者は37万4176人に上り、1万8222人がなおも行方不明となっているそうです。そして地震により広がる格差や私腹を肥やす役人が大きな問題となっています。
さて、日本の復興には日本人の誇りとか自信をともなって進んでいくのでしょうか?
2011年5月10日火曜日
人生の戦略と実行
温家宝首相が先月、「誠意の欠落、道徳低下が深刻な状態」だと発言し、国民の道徳向上の重要性を訴えました。「国民の素質の向上と道徳の力がなければ、決して真の強大な国にはなれない」と言うわけです。30年たったら日本が中国に道徳を習う時が来るかも知れませんよ。
日本の若い人たちには、今の生活で精一杯なんて言わないで、将来のことを考えて欲しいですね。どのような人生を送りたいかを今のうちに考える。それが人生のVISIONです。VISIONがないと、つまり、「What To Do」の部分がないと、どのように実現するかという実行計画(「How To Do」の部分)には突入できないでしょう。 Strategy(戦略)とExecution(実行)を混同してはいけません。
冷静に現状を見つめてチャンスを探して欲しいものです。
2011年5月9日月曜日
泣く子だけがミルクにありつける?
泣く子だけが牛乳にありつける。これは中国でよく言われることです。つまり、「自己主張しないと何も手に入らない」と言う意味です。
国と国との関係なんて自己主張の競い合いのようです。中国は赤ん坊の頃から「ミルクが欲しければ黙ってちゃダメよ。ちゃんと泣いて自己主張するのよ」と教えます。
北京の首都空港はオリンピックのおかげで立派な国際空港になりました。人々を観察していると、まだまだ自己主張だけが強くて、中味と形式にギャップがあります。しかし、これからまっとうなナショナリズムが育ち、ギャップは狭まってインターナショナルな一流国になるのでしょうか?
新渡戸稲造は、アメリカ、ヨーロッパ、台湾、中国と世界中を渡り歩きました。ナショナルとインターナショナル、相克の生涯だったのでしょうね。
新渡戸稲造『真の愛国心』
国を偉大にする一の方法
僕は寧(むし)ろ我国民性に如何なる欠点あるかを省るのが国を偉大にする一の方法でないかと思う。言葉を換えて言えば反省、自己の過を知ること、己の短所を自覚すること、これが大いに伸びんとする前に大いに屈せねばならぬという訓(おしえ)に適うことで、これがなければ国民は慢心するのみである。慢心は亡国の最大原因である。
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2011年5月7日土曜日
日本の人口推移
2011年5月5日木曜日
日本最後の政治家 ~ 吉田茂
吉田茂は、日本再生のシンボル的な東京オリンピック(1964年)を見て数年後に89歳で亡くなりました。最後の大政治家はイギリスのウィンストン・チャーチルだと小林秀雄が書いています。 日本の最後の政治家は吉田茂かもしれませんね。
戦後日本の進路は吉田茂が決めたといわれます。 しかし、今は多くの複雑なことが互いに絡み合って、どんなに優秀な政治家でも一人では解決できるものではありません。だから官僚組織があるのです。政治家自身が政治家が何たるかを理解せず官僚機構を否定した場合、そこには絶望しかありませんね。 小林秀雄は「政治家というものは、社会の物質的生活の調整を専ら目的とする技術家である」と言っています。
「復興ビジョン」なんて聞こえは良いですが、日本人が心に思い描く共通のイメージは何なんでしょうか?
下は昭和32年、吉田茂の防衛大学の第一回卒業式での訓辞です(皆さんご存じでしたね)。
君達は自衛隊在職中
決して国民から感謝されたり
歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない
きっと非難とか叱咤ばかりの一生かもしれない
御苦労だと思う
しかし
自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは
外国から攻撃されて国家存亡の時とか災害派遣の時とか
国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ
言葉を換えれば
君達が日陰者である時のほうが
国民や日本は幸せなのだ
どうか、耐えてもらいたい
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2011年5月3日火曜日
小林秀雄 『私の人生観』
小林秀雄が敗戦後すぐに行った講演記録「私の人生観」を読み返しました。 国会中継で大臣の一人が「311大震災は日本人の人生観を変える出来事だった」と発言したのを聞いて、何十年ぶりかで読んでみたくなったのです。
小林秀雄は講演の頭のほうで言っています。
「人生観人生観と解り切った様に言っているが、本当はどういう意味合いの言葉なのだろうか」。
「人生観」という言葉は古くから日本にあったものではないそうです。そこで、小林秀雄は「人生観」を「人生」と「観(VISION)」に分けて言葉の意味を論じています。 内容は多岐にわたっています。私の文章力では簡潔に要約することは不可能です。面白かったのは、小林秀雄が宮本武蔵について説明した部分です。
「私が、武蔵という人を、偉いと思うのは、通念化した教養の助けを借りず、彼が自分の青年期の経験から、直接に、ある極めて普遍的な思想を、独特の工夫によって得るに至ったという事です。戦国時代という時代は、言う迄もなく、教養より、もっぱら実地経験に頼るものが成功した時代で、様々な興味ある実行家のタイプを生んだのであるが、かような経験尊重の生活から、一つの全く新しい思想を創り出す事に着目した人は絶無であったと言ってもよい」。
小林秀雄は、宮本武蔵を語ったあとに、次のように講演全体をまとめています。
「思想のモデルを、決して外部に求めまいと自分自身に誓った人、平和という様な空漠たる観念の為に働くのではない、働くことが平和なのであり、働く工夫から生きた平和の思想が生まれるのであると確信した人、そういう風に働いてみて、自分の精通している道こそ最も困難な道だと悟った人、そういう人々は隠れていはいるが至る処にいるに違いない。私はそれを信じます」。
小林秀雄は敗戦直後の国民やジャーナリズムの荒廃を憂えたのでしょう。多くの知識人がいとも簡単に180度思想転換しちゃいましたからね。311大震災後、日本の「VISION」を語る上で、小林秀雄が至る処にいると信じたような人は今の日本に隠れているでしょうか? 戦後66年、そもそも思想自体が春の日の陽炎のようになっちゃいましたからね。
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2011年5月1日日曜日
プロジェクト管理ということ
論語に「君子不器(くんしふき)」と言うのがあります。以前、このブログでも言及したことがありましたっけ?
私は、この「器」というのは英語で言う「function(ファンクション)」だと思っています。 「縦割りの機能」と言うことです。君子たるもの、ひとつの機能(部門または専門分野)だけではダメで、「process(プロセス)」で考えなさいと言っているのでしょう。
プロジェクト管理とは、幅広く考える。先を考える。統合して横断的に考える。うーん、なかなか難しいですね。プロジェクトも、企業も政府も、そして、個人の人生も同じですね。
http://ibg-kodomo.blogspot.com/2010/07/blog-post_9713.html
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