2025年7月4日金曜日

セルフサービスって、ほんとに嫌い!

ファミレスのテーブル

セルフサービスって、苦手というより――大嫌いです。

コンビニのレジで他人のやりとりを眺めたり、店員に「今日も暑いねぇ」と一言こぼしたり、品物の場所を聞いて「そこです」と事務的に返されて、でもなんとなく通じ合ったり。そうやって何年も通ううちに、中国人店員とも軽口を交わせるようになる。そんな“距離の縮まり方”が楽しい。

買い物って、ただモノを買うだけじゃない。人とすれ違って、ちょっと何かが通じる、そんな時間でもあるのですよ。

1980年代は中国語で仕事をしていました。90年代はアメリカで英語中心。あの頃は、言葉の向こうにちゃんと“人”がいた。何語でも、どこの国の人でも関係ない。言葉って、結局は人と人をつなぐためのものだったから。そして、その言葉の背後には個人の人となりがある。

ニューヨークに住んでたころは、ナッシュビルに4年間、毎週出張することがありました。

ナッシュビルのアメリカン航空のグランドホステスとも顔見知りになって、「毎週毎週大変ね」なんて言われると、出張もちょっと悪くない気がしたものです。言葉と気配で、人と人がつながってた。金曜の夕方、「Have a nice weekend」と言われて、「You, too! Have a good one!」と返す――たったそれだけで、心がちょっと浮くんです。

なのに、今はどうでしょう。

コンビニも、レストランも、空港のチェックインですら、人間に会うことすらままならない。タッチパネルが「いらっしゃいませ」と言ってくるけど……いや、いらっしゃってないんですよ、誰も。そこに“人”はいない。ただのタッチパネルのスクリーン。黙ってぴっぴと注文して、番号札を持って、黙って待つ。人間ガチャ、ハズレなしの無人対応。店員との会話なんて「非効率」の一言で片づけられる時代になりました。

私のような旧式の人間は、もう社会的コストなんでしょうね。生産性は低いし、テンポも悪いし、つい話しかけて場の空気を乱す。世間は「便利になった」と言うけれど、その正体って実は「人と人との断絶」だったんじゃないか。便利のために、誰もが静かに孤独へと閉じ込められていくディストピアの世界。

アメリカでは、この無人化社会はもう10年以上前から始まってました。笑顔で「How are you doing?」と話しかけてくれてたレジ係も、今は無言のキオスクに取って代わられた。日本も、気がつけばすっかりそっち側の人になってしまった。

世の中がどんどん「便利」になればなるほど、私には逆に不便で、生きにくくて、居心地が悪くなる。頑固ジジイ? 大いに結構。このまま誰とも話さず、無人の世界でひっそりフェードアウトするのも悪くはない。

というか、もう既に世の中からはサインアウト済みかもしれませんね。ははは……。

 







ファミレスでは料理もロボットが運んでくる。話かけても返事はしない!


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