息子(ナッシュビル在住)からのプレゼント
LGBT法案が話題になっています。
NYにいる時に働いていたコンサルティング会社のNYエリアのトップはゲイの男性でした。当時はLGBTなんて全く話題にもなっていませんでした。私も上司がゲイであるかどうかなんて意識したこともありませんでした。恐らくゲイの男性なんて紀元前からいたのでしょう。
アメリカの変化には多くの要素がありますが、2000年以降ジェンダーフリーが急速に進んだことは間違いありません。自由と民主主義が行き過ぎたために優秀な人が裏に引っ込んだ。一方、ギブソンの本社がある南部の状況は真逆で、性差別なんて当たり前の南北戦争の頃のようでもあります。
LGBTの議論
「同性婚、日本の司法判断は未来へ前進、準備できている」といったエマニュエル駐日米大使の記事がメディアを賑わしています。 エマニュエルさんは大都市シカゴ出身で、大学はヨーコ・オノと同じNYのリベラル色の強いサラローレンス大学です。
「LGBTに関する法律は日本の文化には必要がない」ということを、エマニュエル大使に筋道立てて説明してあげる日本の政治家や知識人っていないのですかね?海外、特に欧米で暮らすと良く分かりますが、日本は欧米と比較してほぼ差別がない国です(欧米の価値観とは違う)。欧米は差別があり人間が自然をコントロールするという事が前提になっています。つまり二元論的な差別があるから法律で規制するのです。このままだと日本も差別を意識して(前提として)、それを法律でコントロールする欧米型の価値観に変化する可能性が高くなります。価値判断の基準が希薄だと染められやすい。
日本はアメリカと違って何千年も自然を認め自然と融合してきた国柄であるということを日本人が思い出し、駐日大使には伝えるべきです。日本には日本の価値判断の基準がある。
以下は3年前に ibg 社内で議論したことです。
事なかれ主義の日本はパンデミックに弱い世界的な感染症を考えることは現代の日本人には最も苦手なことの一つでしょう。なぜならば、パンデミック問題はすべての者の当事者意識が求められるからです。今の日本人の多くは事なかれ主義で虚無的です。問題意識は危機意識に至らず、危機意識がないのに当然のこと当事者意識は生まれません。
二元論と一元論
自然との共生は単なる感情的や感覚的な融和主義ではないはずです。地球全体の自然の因果関係を、自然の単なる一部分としての人間を考えることができるかということです。自然と人間の二元論的に人間中心、つまり、人間が自然をコントロールするという思い上がりは近代国家の特徴です。西欧は気づき始めて試行錯誤しつつ半世紀以上たってしまったようです。中国は近代国家が陥った失敗に共産党の面子のために突き進もうとしている。多くの善良な中国の若者が気の毒で仕方がない。
共同主観の模索が課題
日本はどうか? 近代国家が目指した人間中心主義でもない。かといって人間と自然のバランスを考えながら将来を考えるリーダーシップはない。コミュニケーションを通じて主観と客観を行ったり来たりしながら共同主観を模索するのは日本人が最も苦手とするエリアです。しかし、ウィルス後のパラダイムが変わった後の世界観では最も必要とされるポイントだろうと思います。
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