2010年2月27日土曜日

日本の伝統、文化はすごい。


友人夫婦が、石川県白山のお酒 「天狗舞」 を持ってきてくれました。

「天狗舞」は、日本三大名山である白山の水と加賀平野の良米により、醸し育まれたお酒だそうです(「天狗舞」の車多酒造のHPより)。

日本では、縄文後期から弥生前期に稲作が伝わってくる以前から、原始的な果実酒を飲んでいたと言われています。「魏志倭人伝」にも、3世紀頃、日本では酒が普及していたと記述があるそうですが、果実酒なのか日本酒なのか判明していないそうです。

しかし、「日本書紀」には、須佐之男命(スサノオノミコト)が八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治する時に、酒を醸させて飲ませたとあるので、これが、日本酒の起源ではないかとも言われています。

日本酒は、美味しいお米と水から造られます。 そして、日本酒の特徴は、麹による酒造りです。

麹を使った日本酒に関する記述の最も古い文献は「播磨国風土記」(奈良時代初期)です。「神様に供えた米飯が濡れてカビが生えたので、それで酒を醸し、神様に献上して酒宴を行った」と記述があるそうです。

日本という国の伝統はすごいですね。8世紀の奈良時代には既に、古事記、日本書紀、風土記といった形でドキュメンテーションを行っていた訳ですから。

酔っぱらいの戯言でした。

***

2010年2月26日金曜日

高校授業料無償化に思う

高校授業料無償化の審議が国会で始まりました。公私格差が問題になっているようです。しかし、高校の無償化って本当に国が行うべき事なのでしょうかね?日本では、自由と平等の御旗の下に政府が教育に介入しすぎるように思います。実は、自由と平等の名の下に社会主義化が進んでいるように感じるのは、私だけでしょうか?

教育は、自発的に行わなければならないと思います(自発的と言っても自由放任じゃないですよ)。国(文部科学省)や教育委員会が形式的な、そして、自らの保身で教育の現場を上からコントロールすべきではないでしょう。文部科学省って必要なんでしょうかね?次の事業仕訳で、文部科学省を廃止することを考えてみてはどうでしょうか?

アメリカの場合、教育省(Department of Education)は存在しますが、教育制度は各州の管轄なので、統計などを担当しているだけです。連邦政府の官庁としては、職員の人数が最も少ない省です。各州の教育現場は、日本よりも保守的で、強制力が働いていると思います。つまり、子どもに対して親の力が強いということです。

***

アメリカの学校には、大まかに言って以下の種類があります(K-12:幼稚園年長~高校)。

1.普通の公立学校
2.トップレベルの公立学校
3.マグネットスクールと呼ばれる公立校
4.私立校(プレップスクール、ボーディングスクールなど)

「1」と「2」の学力の格差は非常に大きい。大抵の親御さんは、家計の許す限り、または、多少無理をしてでも、「2」の学校区に住まいを求めます。まさに、「孟母三遷(もうぼさんせん)」ですね(孟子の母親は、子供の教育のことを考えて三度転居したということです)。

アメリカの固定資産税(Property Tax)は、行政サービス と スクール税から成り立っています(ニューヨーク州)。K-12の義務教育制度の資金を支えるものが、スクール税です。子供がいない家でも、スクール税は課せられます。そして、家の価値は、学校区の善し悪し、つまり、公立学校のレベルで決まります。また、税収入の多い学区は、高給で質の高い先生を雇うこともできます。

上記以外に、ホームスクールがあります。ホームスクールは、学校に通学することなしに自宅で学習し、正規の学校教育に代える教育です。これは、「教育の自由」ということですね。学校に行かせないオプションもあって、それが本当の「教育の自由」と言うことだと思います。

日本にあるアメリカンスクール(ASIJ)は、アメリカの義務教育に準拠した学校で、カリキュラムは、ニューヨーク州の公立校に近いものです。



***

2010年2月25日木曜日

ギブソン ES335


1年以上取り替えていなかった弦を新しくしました。

自分の持っているギターは、どれも愛着があるのですが、このギターは特別です。外出から帰って来て、家にあるチェリーレッドのES335が目に入ると、そこはかと無く幸せな気持ちになります。

私のES335は、ギブソンの Historic Collection です。ロングなピックガードに太目の50年代風のネック。アンティーク感を増した渋い風合いのカラー(縁取りの白が黄ばんでいる)。細かなところでは、クルーソンタイプのペグの採用や、ピックアップは1957年モデルのクラシック・ハンバッカーのピックアップの搭載などがイイ味を出しています。

シリアル番号は「A-92076」。1959年のES335をモデルに、2002年に製造された76台目のギターです。

Historic ES MODELS (since 1995):
(A or B)-MYRRR
M is the model year being reissued
Y is the production year
RRR indicates the guitar's place in the sequence of Historic ES production for that year.

Reissue model codes:
2= ES-295
3= 1963 ES-335 (block inlays)
4= ES-330
5= ES-345
9 with an "A" prefix = 1959 ES-335 (dot inlays)
9 with a "B" prefix= ES-355

***

2010年2月24日水曜日

教育の自由

カーリングの英国戦とロシア戦を見ました。日本チームの目黒萠絵さんはすごいですねぇ。強靱な精神力と冷静な判断力がないと出来ないです。

オリンピックは国別対抗のスポーツ競技です。実に多くの国があることが分かります。そして、ほとんどの競技には男子と女子の別があります(フィギュアスケートのペアや混合ダブルスのような競技を除いて)。

自由、平等、平和、ジェンダーフリー、社会、グローバル、地球、宇宙、、、。 これらは、今の日本人にとって聞こえのいい馴染みの言葉になっているようです。

教育に関しては、色んな人が様々な意見を持っています。教育だけを取り出して、国と国を比較しようとしても無理ですね。 政治、外交、国防、経済のバランスがとれて、それで始めて教育が意味を持つのだと思います。

国民の間では、オリンピックの時だけ、日の丸と一緒に「国」が少しだけ顔を出すようです。「がんばれニッポン」というかたちで。そして、国民の代表である政治家は、どこの国の政治家だか分からない人が多い。最近では政党の違いさえ分からない。政党毎に主義主張が一元化されていないからでしょうね。

国のビジョンがあり、国策が決定される。それらが曖昧であるならば、義務教育なんて意味をなさないでしょう。 国家は努力してつくるものであり、教育は実現するための重要なツール(手段)だと思います。 全く努力しないで、結果の平等を目指し、みんなで「ニッポンという社会」にぶら下がるのは如何なものでしょうか?

義務教育は、子供たちに日本人としての自信と希望をもたせる内容がいいですね。良いところをいっぱい紹介してあげて、失敗したところも客観的に教える。義務教育として、ごく当たり前のことだと思います。もし、それができないならば、できるようになるまで「教育を受けさせない自由」を認めるべきだと思います。

追)上の文章を書いてからカーリングのスイス戦を見ました。負けちゃいましたね。残念です。

***

2010年2月23日火曜日

子ども手当


(毛沢東と江青)


国会で、厚生労働大臣が、子ども手当の主旨説明を行いました。

最初に子ども手当のことを知った時、中国のプロレタリアート文化大革命のことが思い浮かびました。首相や大臣たちが声高に、「子供は未来への投資、子供は社会全体で育てるんだ」と叫べば叫ぶほど、大躍進、文革時代の人民公社が蘇ってきます。

子どもは、社会の所有物ではなく、親のプロデュースで親の愛情を受けて育つと思います。そして、物理的にも精神的にも独立してくると、子どもは、自分の人生を自分でプロデュースすることを開始するものだと考えます。

上の写真は、我が家の居間に飾ってある置物です。中国じゃなくて、新宿で、7年前くらいに買いました。なかなか気に入っているんですよ。いいでしょう?

***

2010年2月20日土曜日

ホームパーティー


中華圏は春節(旧正月)。仲間が中国から一時帰国したので、ホームパーティー(新年会)を開きました。

三脚がないので、手持ち撮影です。私のD90には、手ぶれ補正機構付きのズームレンズ「AF-S DX NIKKOR 18-105mm f/3.5-5.6G ED VR」が付いています。これが、かなりのスグレモノです。

ニコンのHPより
http://www.nikon-image.com/jpn/products/lens/af/dx/zoom/af-s_dx_18-105mmf35-56g_ed_vr.htm

EDレンズと非球面レンズを各1枚採用し、高い描写性能を実現しています。静粛でスムーズなAF撮影を可能にする小型SWM(超音波モーター)、シャッタースピード3段分相当の高いブレ軽減効果を発揮する手ブレ補正(VR)機構を搭載。広角側は建物やワイドな風景、望遠側はポートレートや風景等の撮影に最適です。

***

2010年2月18日木曜日

今朝の風景 (2月18日)

黒のジープ・ラングラーは、カラスみたいです。


ひごろ憎き烏も雪の朝哉     芭蕉
(ひごろにくき からすもゆきの あしたかな)

日本の分別ゴミにかける情熱は凄いものですね。私の住む市は、ゴミ分別専門のホームページまであります。ニューヨークでは、ビン缶と普通ゴミの区別があるくらいでした。区別があるといっても、非常に大ざっぱなものです。ところが、今私が住んでいる市では、7種類のゴミに分別して、それぞれ指定の日時に有料のゴミ袋に入れて、家の前に出さないと、持って行ってもらえません。

生ゴミは月曜と木曜日。正確に9時5分から9時15分の間にゴミ収集車が家の前に来ます。「前の晩や、9時までに出しておけばいいじゃないか」と言われるかも知れませんが、そうではないのです。カラスや野良猫との戦いが待ちうけています。ゴミ袋が荒らされないように、生ゴミは、収集車がやって来る数分前のタイミングで出します。驚くばかりに地域住民の統率がとれています。

カラスのレベルもまた高い! ゴミが出てくるタイミングを理解していて、電信柱や屋根の上から虎視眈々と生ゴミが出されるのを狙っているのです。

芭蕉は、「雪の朝は日頃憎いカラスでさえ綺麗に見える」と言ったのでしょうが、今朝はカラスの姿が見えませんね。 現代のカラスは寒さに弱いのでしょうか?

***

歴史を学ぶこと


私は右でも左でもない。中庸(Golden Mean)を心掛けて生きてきたつもりです。ところが、暫く日本を離れていると、日本全体が左に移動してしまって、中庸のつもりだった自分が右に寄った感覚に陥ります。

歴史を学ぶことについて、学者先生たちが様々な意見を言われています。大概は素晴らしい意見です。しかし、小中高の教科書に反映されていないですね。歴史は歴史になっていない。そこには悪意さえ感じられます。自分の生まれた国を貶めて何の意味があるのでしょうか?これでは、自尊心も生まれないでしょう。歴史を勉強しないと、今の日本がなぜこうなっているのか(良い点も悪い点も)、分からないと思います。

日本にいたら、国や日の丸を意識することなんてほとんどありません(オリンピック以外は、、)。しかし、日本を出るときは、パスポートが必要です。どの国でも入国するときには入国審査があり、パスポートの提示を求められるのです。

海外で暮らすと、自分の国の歴史を知らないために恥ずかしい思いをすることがあります。

仕事仲間のアメリカ人Rとは10年以上の付き合いです。Rは、大学を卒業して7年間、アメリカ海軍の駆逐艦(デストロイヤー)に将校として乗船していました。退役して20年、マネジメントコンサルタントをやっています。彼は、日本海海戦や東郷平八郎のことを知っています。山本五十六のことやミッドウェイ海戦のことに詳しい。士官学校で教わっているのです。

お酒が入ると、「日本人はSneak Attackをする」と真珠湾奇襲の事を持ち出します。私はいつも、「真珠湾はルーズベルトのBooby Trapだ」と言い返すことにしています。お酒の上での友だち同士の会話なので、どうってことはないのですが、こういったやりとりがあるから2人の間に一定のレベルに達する信頼関係が生まれているのだと思います。

史実なんて、正確には分からないものだと思います(タイムマシンが発明されるまでは)。だから、多くの国は自分の国の歴史を国策に基づいて主張し、教育に取り入れます。ほとんどの国は、そのことを理解しているのでしょう。

日本も、子供たちが日本や日本人に誇りをもてるような歴史教育をすべきだと思いますね。

***

2010年2月15日月曜日

老犬介護 (2)

3、4日前から老犬の様子がおかしくなりました。上の写真のようになったので、日曜日の午前中に近所の獣医さんに連れて行きました。

獣医さんは、日曜日にもかかわらず予約なしで診察してくれました。これは、ニューヨークでは有り得ないですね。診察料も恐らくアメリカの4分の1くらいでしょう。日本は、人間の医療だけでなく、犬に対しても優しいことが証明されました。

血液検査をして注射を4本打ちました。心臓も腎臓も肝臓も弱っていて、後期高齢犬のサンプルのような状態です。 成田の3ヶ月係留がこたえたのでしょうか。

「老犬にとって3ヶ月は3年くらいかもしれない」と獣医さんに言われてドキッとしました。

しかし、我が家の老犬には申し訳ないのですが、狂犬病のない日本への動物の入国検疫は厳しくあるべきです。アメリカや中国、そして、世界の多くの国々は、まだまだ狂犬病の危険があるわけですから。

日曜の午後は、相変わらずぐったりしていたのですが、月曜の朝にはヒョコヒョコと歩けるようになりました。水や食べ物も少々口にしたので、このまま回復してくれればと思っています。

処置をせず自然に任せると、老衰で亡くなっていたのでしょう。犬も寿命が延びるわけです。 これも人間のエゴでしょうか?

***

2010年2月14日日曜日

教養とは?

日本の政治家を見ていて思うのですが、かなり子供っぽい人が多いですね。テレビカメラの前でも簡単にムッとします。しばらく日本にいなかった為に、私の感覚がずれてしまったのですかね?どの国でも、政治家なんて同じようなものかも知れませんが、日本の政治は「政治ごっこ」に見えてしまいます。

なぜでしょうか?

私は、今の日本の政治家には教養のない人が多いからだと思います。これは、大胆な発言ですね。教養もない浅薄な私が言うのも滑稽な話ですが、私は教養がないから政治家になっていない訳で、国民の代表として国会で活躍する政治家の方々が私のようでは困ってしまうのです。

では、教養とは一体全体何なのか?これは、難しいですね。教養とは一体何でしょう?

少なくとも、一国の政治家たるもの、世界の歴史の流れや今の世界情勢について、ちゃんとした見通しをもってもらわないと、危険で仕方がない。政治家自身が、我が国や国民に対してどのような役割をはたしているのかについて、自覚しているべきです。また、何らかの権威や金力によることなく、自分の生き方を通じて国民に自然に訴えかけていくことが出来ていなければならない(私は私なりに、自分の周りの人たちだけに訴えかける、、、、ホントかね?)。

教養とは、単に学校のお勉強がよくできて、知識がいっぱいあるだけでは不十分だと思います。その人の生き方そのものなのです。 政治がしっかりして、つまり、国がしっかりし、親がちゃんとしていないと、子供の教育は成り立たないし、教養のある人は出て来ないと思います

「学問のすすめ」 十七編 人望編の冒頭です。

『十人の見るところ、百人の指(ゆびさ)すところにて、何某は慥(たしか)かなる人なり、頼母(たのも)しき人物なり、この始末を託しても必ず間違なからん、この仕事を任しても必ず成就することならんと、預(あらかじ)めその人柄を当てにして世上一般より望みを掛けらるる人を称して、人望を得る人物という、凡そ人間世界に人望の大小軽重はあれども、苟(かりそめ)にも人に当てにせらるる人に非ざれば何の用にも立たぬものなり』。

***

2010年2月12日金曜日

アメリカンスクール・イン・ジャパン


「日本にあるアメリカンスクールに小さい頃から通わせたい」というお母さんたちの声を聞くことがあります。

ネット上でも様々な情報が飛び交っているようなので、アメリカンスクールのことを少し説明させて下さい。

まず、インターナショナルスクールとアメリカンスクールの違いを理解する必要があります。インターナショナルスクールには、横浜中華学校、東京韓国学校、カナディアンアカデミー、朝鮮学校、神戸ドイツ学院等、各種各様です。アメリカンスクールはインターナショナルスクールの一つです。日本国内におけるインターナショナルスクールは、学校法人による私立学校から無認可校まで多様です。先ず、卒業して得られる資格を確認することが重要です。

息子は、アメリカの義務教育であるK-12(ケイ・トゥ・トゥエルブ:キンダーから12年生)の最後の数年を調布のアメリカンスクール(調布にあるASIJ:American School In Japanと呼ばれる学校です)に通いました。私が、仕事の関係でニューヨークから上海に異動することになったからです。上海のアメリカンスクールと調布のアメリカンスクールを実際に行ってみて話を聞いて、比較検討した結果、息子は調布のアメリカンスクールに行くことにしたのです。

調布にあるASIJは、基本的にはアメリカ人の公立の義務教育課程に準拠しています。つまり、日本の文部科学省の学習指導要領に沿った教育を行わないことから、日本の学校教育法に基づく学校制度においては各種学校扱いとなるため、長年の間日本の小学校、中学校、高等学校の卒業資格は得ることができませんでした。

2003年10月、文部科学省の中央教育審議会教育制度分科会が開かれました。学校教育法施行規則及び告示の一部改正が行われ、ASIJは、セント・メリーズ・インターナショナル・スクールや、清泉インターナショナルスクール学園などの他のインターナショナルスクールとともに、第12学年を修了した場合、「(日本の)大学入学に関し高等学校を卒業した者と同等以上の学力があると認められる者」と指定され、日本の高等学校卒業と同じ資格を受けられることになりました(文部科学省HPの「大学受験資格について」で確認して下さい)。

下のスライドは、ASIJに通わせる長所と短所をまとめたものです(息子との会話をベースに作成しています)。


(クリックすると大きくなります)

***

2010年2月11日木曜日

建国記念日に思う

今日は建国記念日です。

日本の祝祭日は不可解なものでいっぱいです。更に、しばらく日本を離れていると、いつの間にか国民こぞって祝う祝祭日の日付けや名称が変わっていて戸惑ってしまいます。

建国記念日と言うのも不思議です。世界の多くの国の建国に関する記念日は独立記念日です。アメリカでは7月4日の独立記念日、中国は10月1日の国慶節です。

2月11日は紀元節と言われたものです。紀元節とは、『古事記』、『日本書紀』が初代天皇と伝える神武天皇の即位日として定めた祝日です。国内を統一し、畝傍(うねび)山の東南・橿原(かしはら)の地に皇居を営んで、即位の礼をあげられたと伝えられます。

私の記憶するところ、20~30年前は「紀元節は戦争や軍国主義に直結するからダメだ」とか、「日本国民はそれほどバカじゃない。日本の過去を全部過ちだと否定するのは間違っている」と、喧々囂々でした。最近ではそういった議論さえも聞かなくなったようです。

アメリカや中国は、いつも努力して意識していないとアメリカや中国であり続けることはできません。これが、国家意識というものです。意識していないと国が崩壊してしまうからです。ところが、日本は、国や国家という言葉に対してアレルギーがあるようです。

考古学的見地から、つまり史実として2600年前に神武天皇が即位したか、しなかったかは、重要ではないと思います。

地球を考えるのも大事ですが、60年以上も経ったことですから、「日本という国家」を考えてみてはどうでしょうか?

***

2010年2月9日火曜日

親の務め ~ 子供が子育てできるまで

(ローリーが3ヶ月間過ごした、成田三里塚 第七ゲート 農水省動物検疫所天浪検疫場。フェンスの向こう側は滑走路)。

我が家の老犬ローリーを見ていると、人間の一生のダイジェスト版を見ているようですね。

人間は動物です。人間も動物も程度の差こそあれ情愛は同じです。では、「人間と動物の違いは何であろうか?」という疑問に対して、福沢諭吉は答えています。それは「相手に対する敬意だ」と。将来の社会を担う子供たちの教育は、人間の「本心」から出た情愛をベースとした思いやりが大切であり、動物と違って人の間には敬意が存在すると。

情愛や敬意がない子育ての継続は、社会正義が機能しなくなり、卑怯者の大量生産となってしまいます。

私は、息子が納税者になった時、「親の務めは終わった」とホッとしたのですが、強烈な批評家である福沢さんは容赦なく言っています。

「父母の職分は、子を生んでこれに衣食を与うるのみにては、未だその半ばをも尽したるものにあらず、これを生み、これを養い、これを教えて一人前の男女となし、二代目の世において世間有用の人物たるべき用意をなし、老少交代してこそ、始めて人の父母たるの名義に恥ずることなきを得べきなり」(「教育のこと」福沢文集 巻之一)。

***

2010年2月8日月曜日

ジェネレーションギャップ



ジェネレーションギャップは、世代による文化、価値観、思想などの相違のことですが、今の日本の世の中を見ていると、育った時代によって考え方はかなり違っているのではないかと思います。お互い共通に持っている気質をしっかり確認しないと、特に政治家などはムチャクチャな議論になってしまいます。

上のスライドは、私の勝手な分類と、それぞれの時代に起った出来事です。
  • マッカーサー呪縛世代 ~ 団塊の世代
  • シラケ世代 ~ 共通一次世代
  • バブル世代
  • 氷河期世代
  • ゆとり教育世代

***

2010年2月6日土曜日

老犬介護


ノースキャスルは、マンハッタンから北へ30マイルのところにあるニューヨーク市郊外の典型的な町です。町の広さは、26スクエア・マイル。これは、千代田区の約20倍くらいの大きさでしょうか。緯度からすると、ニューヨーク、北京そして日本の青森市がほぼ同じところです。ノースキャスルの人口密度は、青森県とほぼ同じで1平方kmあたり150人ほどです。青森市の人口密度となると428人なので、ノースキャスルと比較すると、青森市は随分と人の多い賑やかな都会となります。

我が家の老犬ローリーは、16年前の1月にノースキャッスルにあるアーモンクという村で生まれました。生まれた直後から我が家の一員です。

犬は人間より成長のペースが速く、人間より速く老化します。犬の年齢を人間の年齢に置き換えると、最初の1年で17歳になり、2年目で23~24歳に成長すると言われています。それ以降は、1年ごとに人間の4年分ずつの年をとっていくそうです。したがって、ローリーは84~85歳になるわけです。

ローリーは、彼女のこれまでの16年の生涯の中で太平洋を3度渡りました。今回は、成田空港の検疫所に3ヶ月もの間、係留された後に三鷹に帰ってきました。老化の兆候は2~3年前から出ていました。目、耳、鼻、歯、皮膚、排泄、、、、。

アルツ独特の兆候も出ています。まっすぐ歩くことができずに、一方向にクルクルと回り続けてしまうような歩行障害が見られます。後退することができなくなって、家具の間などの狭いすき間に入ってしまって出られなくなったりします。椅子やテーブルの脚に何度もぶつかります。一度だけですが、夜中に階段から落ちました。

今日もローリーは夢の中。


優雅に年をとることができたのか、気になるところですね。

***

2010年2月5日金曜日

自己実現って?

夏目漱石の「私の個人主義」は、ジミー・ヘンドリックスの「Little Wing」やクリーム時代のエリック・クラプトンの「Sunshine Of Your Love」と同様に私の人生を変えた作品です。 漱石をジミヘンやクラプトンと同次元で並べると、漱石には失礼ですよね。

私が、漱石を読んだのは中学時代後半ですが、ちょうどこの頃、「イージーライダー」、「俺たちに明日はない」、「真夜中のカウボーイ」や「カッコーの巣の上で」といったアメリカン・ニューシネマにものめり込んでいました。

夏目漱石は、「私の個人主義」の中で以下のように言っています。

『私はそれから文芸に対する自己の立脚地を堅めるため、堅めるというより新らしく建設するために、文芸とは全く縁のない書物を読み始めました。 一口でいうと、自己本位という四字をようやく考えて、その自己本位を立証するために、科学的な研究やら哲学的の思索に耽(ふけ)り出したのであります』。

『私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました。彼ら何者ぞやと気慨が出ました。今まで茫然と自失していた私に、ここに立って、この道からこう行かなければならないと指図をしてくれたものは実にこの自己本位の四字なのであります。自白すれば私はその四字から新たに出立したのであります。そうして今のようにただ人の尻馬にばかり乗って空騒ぎをしているようでははなはだ心元ない事だから、そう西洋人ぶらないでも好いという動かすべからざる理由を立派に彼らの前に投げ出してみたら、自分もさぞ愉快だろう、人もさぞ喜ぶだろうと思って、著書その他の手段によって、それを成就するのを私の生涯の事業としようと考えたのです』。

漱石は傷心のイギリス留学で色んなことに気付いたのですね。漱石が「自己本位」と言っているのは、アメリカの学校教育の根幹である「自尊心」であり、福沢諭吉の言葉であれば、人(万物の霊)の「本心」だろうと思います(福沢諭吉の「本心」についてはまた書こうと思います)。

日本では、自己実現という言葉をよく耳にします。私は、この自己実現の意味するところがよく分かりません。自己を実現するとはどういうことだろうかと悩んでしまいます。

漱石が自己本位と言っているのは、自分勝手と言うことではなくて、自信をもつ、自分の軸を見つける、自分の見識・判断力を養うと言ったことだろうと思います。今の日本の子供に必要なことであり、大人の世界に欠如しているものは、自己実現と言うより、漱石の言う自己本位であり、漱石が「私の個人主義」で言うところの「個人主義」ではないでしょうか?

***

2010年2月4日木曜日

デッキで花の写真を撮りました


有楽町の東京国際フォーラムで開催されている HRD JAPAN 2010(第29回能力開発総合大会)というイベントに参加してきました。

私が感じたことは、出展各社共通のフォーカスがあるようには思えなかったことです。つまり、問題認識がちゃんとできていないということです。これも、暗中模索、日本の現状を物語っているということでしょうか?

***

2010年2月3日水曜日

知育・徳育・体育のバランス ~ 親の役割


知育、徳育、体育のバランスを考えるのは、学校でも塾でもなく、親の責任だと思います。バランスが悪いと感じたら、修正するのは親の責任であり、子供が小中学生の頃までは、親がプロデューサーであるべきです。

夫婦関係がベースとなる家庭があり、夫婦関係は親子関係に発展する。そして、地域共同体があり、その中で子供は育つ。国全体での教育を考えた場合、いくら狭い日本とは言え子供一人一人を見つめることは難しい。したがって、地域共同体で知育・徳育・体育の教育レベルを高めるのが重要です。

学校や塾に依存しすぎてはいないでしょうか?

(画像をクリックすると大きくなります)

***

2010年2月1日月曜日

井の頭弁財天の手水舎(ちょうずしゃ)


日本の良さはいっぱいありますが、水が豊富なこと、綺麗なことは特筆すべき長所です。しかし、日本人のほとんどが、日本の強みが「水」だと言う事に気付いていないのではないかと思います。

日本という島国の外に出てみると、日本の良い点や悪い点が、かなりはっきりと輪郭を現わします。言い尽くされていることですが、良い点の代表的なものは「安全」と「水」ですね。これは、紛れもない事実なのです。

お隣の中国は森を大切にしてこなかった。その結果、水不足という大きな問題を抱えています。2001年のことです。16年ぶりに万里の長城(八達嶺)に行きました。木を切りすぎてカッコがつかないから、緑のペンキで山肌を塗っているのを見てびっくりしました(10年に及んで、日本人ボランティアが植林活動を行っていますが、、、)。

「日本の神は水(水神)であり森(森神)である。日本は2000年以上も前からこれらを大切にしてきたエコ先進国なのである!」と威張ってもいいのではないかと思います。

アメリカや中国のように、自省の念が稀薄でも困ったものですが、日本みたいに自尊心が無さすぎるのは、グローバルな環境では致命的な欠陥です。自尊と自省のバランスは国家でも個人でも大事ですね。

***