2024年11月21日木曜日

谷川俊太郎を悼む

 

言葉と現実のインターブリッジ


谷川俊太郎は詩人というよりも哲学者か言語学者のような人です。言葉と現実を橋渡し(インターブリッジ)する翻訳家なのです。日本語から英語のような翻訳はまだまだ表層的な問題なのです。谷川さんという詩人は平易な言葉で現実との距離を縮めようとしたのでしょうね。社会思想や哲学では近代とポスト近代が争点になる場合が多いのですが、言語学の世界でも近代と現代言語学はコペルニクス的転回をしています(ソシュールの言語学)。


モノが先か言語が先か?


赤ん坊は「りんご」という言葉を覚え、その後に「リンゴ」は食べ物で丸くて赤いものだとリンゴというモノの概念を獲得していきます。だとすると、人が言葉を覚えるということは、同時に周りの世界をどう認識するかを、自分が育つ文化圏や環境(家庭環境からはじまる)に応じて身につけていくということです。私には二人の孫がいます。二人ともアメリカで生まれアメリカで生活しています。彼らはアメリカ、それも南部という文化圏で生活しているわけですから、その中でモノの概念を獲得中だという事です。ジージとしては少し寂しいのですが、「りんご‐ ringo」といっても孫の頭の中には私が思い浮かべる「りんご」は出てこないのです。

以上は私が幼児や小学生の英語早期教育に反対の理由です。谷川さんからヒントを得ています。


りんごへの固執


紅いということはできない、色ではなくりんごなのだ。丸いということはできない、形ではなくりんごなのだ。酸っぱいということはできない、味ではなくりんごなのだ。高いということはできない、値段ではないりんごなのだ。きれいということはできない、美ではないりんごだ。分類することはできない、植物ではなく、りんごなのだから。

花咲くりんごだ。実るりんご、枝で風に揺れるりんごだ。雨に打たれるりんご、ついばまれるりんご、もぎとられるりんごだ。地に落ちるりんごだ。腐るりんごだ。種子のりんご、芽を吹くりんご。りんごと呼ぶ必要もないりんごだ。りんごでなくてもいいりんご、りんごであってもいいりんご、りんごであろうかなかろうが、ただひとつのりんごはすべてのりんご。

紅玉だ、国光だ、王鈴だ、祝だ、きさきがけだ、べにさきがけだ、一個のりんごだ、三個の五個の一ダースの、七キロのりんご、十二トンのりんご二百万トンのりんごなのだ。生産されるりんご、運搬されるりんごだ。計量され梱包され取引されるりんご。消毒されるりんごだ、消化されるりんごだ、消費されるりんごである、消されるりんごです。りんごだあ!りんごか?

それだ、そこにあるそれ、そのそれだ。そこのその、籠の中のそれ。テーブルから落下するそれ、画布にうつされるそれ、天火で焼かれるそれなのだ。子どもはそれを手にとり、それをかじる、それだ、その。いくら食べてもいくら腐っても、次から次へと枝々に湧き、きらきらと際限なく店頭にあふれるそれ。何のレプリカ、何時のレプリカ?

答えることはできない、りんごなのだ。問うことはできない、りんごなのだ。語ることはできない、ついにりんごでしかないのだ、いまだに・・・・・

谷川俊太郎『りんごへの固執』
  
***

2024年11月20日水曜日

新東名を東へ

 鈴鹿SA(新名神)

奈良市内を午前三時ちょっと前に出たのですが、足柄から先が工事と事故で渋滞。東京インターまでバンパー・トゥ・バンパーでした。環八も混んでいて7時間半もかかってしまいました(足柄から武蔵野の自宅まで4時間弱)。東京と関西は直近十数年の間で何十回と往復していますが、もうそろそろ限界かも知れません。高齢者の長距離ドライブは危険です。

早朝のSAはどこも外国人が多い。欧米やラテン系も多い、日本人もいるんだと思って彼らの会話を聞いていると中国語でした(オーバーツーリズムの実感)。自販機のコーヒーも値上がりしていましたね。   


岡崎SA(新東名)掛川SA(新東名)


足柄SA(新東名)

余りにもお粗末な日本の現状は放っておいて、乙巳(きのとみ)の 2025年を考えることにしました。

乙巳の変(いっしのへん 645年)は「蘇我氏の世襲」による独占や横暴をやめさせるために、中大兄皇子らが蘇我入鹿を暗殺し蘇我氏を滅ぼした政変でした。私の記憶では、小中高時代の社会科の教科書(歴史)には乙巳の変は出てきませんでした。

明日香村の遺跡発掘は2005年頃からです。乙巳の変から大化の改新へとすすみ、中大兄皇子は後に即位し天智天皇となります。  

「乙」は未だ発展途上の状態を表します。「巳」は植物が最大限まで成長した状態を意味するそうです。この組み合わせは、これまでの努力や準備が実を結び始める時期を示唆しています。来年は令和の大化の改新が起こり、消滅しかけている日本国を復興させて欲しいですね。

***  

2024年11月15日金曜日

サンタが街にやってくる

 

Santa Claus is Coming to Town(1934年)


この曲も毎年この時期になると必ず演奏する曲です。年が明けて2月頃にはすっかり忘れているので、11月頃から自分の過去動画を見ながら最初からやり直しです。毎年毎年同じです。私はキリスト教的世界観で生きていませんので、季節が巡るように繰り返しのサークルを回り続ける人生です。   

今年はマーチンを8か月にわたる長期間修理に出していたので、この K.Yairi を購入しました。7万円でした。なかなかいいギターです。マーチンも修理が完了したので、クリスマスにはマーチンで弾いてみます。以前は弾きもしないのにギターに対する拘りがありました。でも最近はどうしても欲しいギターもなくなりました。それって、老化の兆候か?

Santa Claus is Coming to Town (1934)

This song is also a song that I always play at this time of year. I completely forgot how to play around February after Christmas and the new year, so I started over from around November. It's the same year after year. I don't live in a Christian worldview, so it's a life of reincarnation, a life that keeps going around in a repeating circle. I like it.

This year, I had Martin out for repairs for 8 months, so I bought this K.Yairi. It was 70,000 yen (450 US$). It's a pretty good guitar. My Martin has been repaired, so I'm going to try playing it with Martin for Christmas. I used to have an obsession(kind of desire) with the guitar even though I didn't play it for a long time. But lately, I've run out of guitars that I really want. Is it a sign of aging?

***

2024年11月7日木曜日

2024 アメリカ大統領選で考えたこと

 

CNNと日本の開票報道を見ました。

両方ともお通夜のような雰囲気は共通でしたが、問題の本質は違うと思います。私はトランプ支持でもハリス支持でもありません。日本人の感性を持つ私からすると二人とも大嫌いです。日本のテレビ報道の司会者や出てくるコメンテーターの抽象度の低さ視野の狭さには今更ながら驚くばかりです。

私はローマ帝国と拒食症で若くして亡くなったカーペンターズのカレン・カーペンターが頭に浮かびました。       

アメリカはローマ帝国の成立から発展、そして滅亡への道にそっくりです。アメリカや中国のような若い巨大国家が暴走する現代の世界情勢と同じだということです。アメリカは自分たちの戦争をつねに正義の戦争といって民主主義をスローガンに世界の覇権を目指した。中国は長期的視野でアメリカに取って代わろうとしている。

ローマ帝国は現代のアメリカで、徹底的に魂を抜かれた日本はローマに滅ぼされたカルタゴと同じです。黄禍論に始まり排日主義は手を変え品を変えて現代まで続いている。日本政府に反抗する気概はない。     

ローマは発展度の異なる諸民族や移民が流入した。力をもつ少数者が繁栄を独占して自分こそが正義だと主張して他者を抑え込んだ。悪徳と貪欲がふくれ、そしてついに内部から崩壊する。今のアメリカと同じじゃないですか?ダイエットを繰り返し拒食症で食べると吐きついには心不全を発症する運命にある(カレンのファンの方々、ごめんなさいね。私はカレンの低音の歌声が大好きですよ)。  

自己中心的なアメリカに他者(弱者)に手を差し伸べる寛容さはあるか?そして日本は孤独に耐え覚醒する時が来るのか?   

***

2024年11月5日火曜日

弦を交換して最初に弾く曲

 

K.Yairi RF635Y


ギターを購入後はじめて弦を交換しました。購入したのは3月ですから7か月ぶりです。通常は2~3年交換しないので私としては早いほうです。

弦を交換したら最初に弾く曲はやはりベンチャーズ『10番街の殺人』。ギター小僧の原点ですね。中学3年の夏休みに福岡市から大阪に引っ越したのですが、福岡ではフリーやレッドツェッペリンやグランドファンクが憧れの的だったのですが、大阪の中学ではベンチャーズでした。『ダイヤモンドヘッド』が弾けるとクラスの人気者。『十番街の殺人』まで弾ける中学校のスーパースターでした。

K.Yairi RF635Y

I replaced the guitar strings for the first time after purchase. I bought a K.Yairi guitar in March, so it's been 7 months. Normally, I don't replace it for 2~3 years, so it's early for me.

After changing the strings, the first song I played was "Slaughter On 10th Avenue" by The Ventures. It's the origin of the guitar boy. Here's how it all started. 

During the summer vacation of my third year of junior high school, I moved from Fukuoka City to Osaka, in Fukuoka, Free, Led Zeppelin, and Grand Funk were so cool among guitar kids, but in Osaka junior high school, surprisingly still The Ventures. If you can play "Diamond Head", you will be popular in the class. However, if you could play "Slaughter On 10th Avenue" , you will be a super-star in the whole school.

***

2024年11月3日日曜日

西尾幹二さんを偲んで

 評論家の西尾幹二氏が死去 「自虐史観」是正に尽力、ニーチェ研究の第一人者(産経新聞) - Yahoo!ニュース

news.yahoo.co.jp
評論家の西尾幹二氏が死去 「自虐史観」是正に尽力、ニーチェ研究の第一人者(産経新聞) - Yahoo!ニュース
産経新聞「正論」メンバーで評論家の西尾幹二(にしお・かんじ)氏が1日、老衰のため死去した。89歳。葬儀・告別式は家族葬で執り行う。後日、お別れの会を開く予定。 東京都生まれ。東京大文学部を卒業後、


西尾幹二さんはテレビの対談番組なんかで失言も多かったけど、立派なドイツ文学者であり思想家でした。若い時に随分と勉強させてもらいました。西洋史学者の会田雄次(故人)も同じですが、ヨーロッパを研究してアメリカを見る人の洞察は非常に納得のいくものです。西尾さんに関して言いたいことは山ほどあるのですが、アメリカ大統領選が来週ということもあり一つだけ紹介します。アメリカの宗教性ということです。
アメリカはイスラエルと双璧をなす宗教国家です。ヨーロッパよりもはるかに神を信じます。ヨーロッパでいじめられた人々が新大陸に逃げてきたピューリタンです。ユダヤの起源と同じです(出エジプト記)。つまり、エジプトの迫害から逃れモーゼの下に集まった他民族の奴隷(後のイスラエル)とよく似ています。
日本人はアメリカの宗教性を考えない。明治・大正・昭和と考えて来なかった。和魂洋才の「才」ばかりに注目し「魂」を置き去りにした。アメリカという国は建国以来同じです。常に宗教を考え敵対する国の宗教(精神的主柱である魂の部分)をつぶすことを考えます。イスラエルと同じですよね?      昭和の敗戦直後のGHQ占領政策は、日本の宗教性(天皇を中心とした)をいかに消滅させるかを第一義としました。だから、歴史(国史)教育を禁止した。仕方がないので歴史を社会科の一部として組み入れた。即ち、宗教性(神話性)を抜いたものが社会科の日本史や世界史になった。これは令和の今でも変わりません。 
歴史は革命(今でいうイノベーション)によって変化するというキリスト教的歴史観と、歴史は動かない、つまり、四季のように繰り返すと考えるアジアの歴史観は異なると教えてくれたのも西尾幹二の著書でした。        西尾幹二先生、R.I.P.

***

2024年10月30日水曜日

精神的な劣化

 


東日本大震災直後の13年前、この文章を書いた時の総理は菅直人でした。

https://ibg-kodomo.blogspot.com/2011/04/buck-stops-here.html

繰り返し言っていますが、高齢者の問題は「責任感」と「情熱」と「他者との距離感」が低下することだと思います(私は石破さん野田さんよりも年上です)。特に「責任感」は急速に減衰して自己中心的になります。人生先が見えてくるからです。人によって差はありますが、だいたい65歳になると傾向は現れます。物理的な劣化は当然ですが、精神的な劣化に注目すべきです。日本人全体に言えることですが。


The Buck Stops Here !

***