2025年4月7日月曜日

騙されてはいけない

 出版不況が続く中で、自己啓発本が売れているそうです。


読書指向もアメリカ的になってきたのでしょうか?色んな面で日本はアメリカの後を追いかけています。グローバル化はアメリカ化だと言っている人もいます。私の感覚では日本は10~30年前のアメリカのようです。

アメリカ伝統の「ポジティブ産業」も日本にやって来ているようです。

英語で con man というのは信頼(confidence)を売る詐欺師のことです。短時間で信頼を勝ち得て(いわゆる騙して)偽物を売りつける詐欺師。アメリカ的自己啓発本って、なるほどというのもありますが、多くは con manを速成(促成)する手段なのです。

アメリカの日曜の朝に放送しているテレビ伝道も多くの宗教家も、宗教(神学)というよりも自己啓発産業です(life coach といわれる類です)。自己啓発本なんて、con man の重要なマーケティングツールだと思います。

「ポジティブ産業」に騙されちゃいけません。振り込め詐欺だけが詐欺じゃないのです。

情熱的な精神状態に入ってしまうと一人になって頭を冷やすことは難しい。 自立してない、つまり、個としての考えがないから、声高に叫ぶスローガンに身を任せるのが心地よいのかも知れません。

ニーチェは、一人ぼっちになって迷路の中を進んでいくこと、身の回りだけでなく遠くまで見渡せる眼を持つこと、新しい音楽を聞き分ける耳を持つこと、これらの事が意志の力であり、大切なことだと言っています。 福沢諭吉のようでもあり、小林秀雄のようでもあります。坂口安吾が『堕落論』で言っていることも同じですね。
  
***

2025年4月6日日曜日

忌諱(タブー)に触れる

ヤクザの歴史は日本の歴史


ヤクザの最盛期は1960~1970年代にかけて。その後、共同社会型から利益優先社会型に変化した。日本のヤクザは欧米のシンジケートとは違う。中国の黒社会とも違う。日本の歴史の中で独自の起源や発展過程を経た。

日本の高度成長とヤクザの栄枯盛衰

日本社会は急激な高度成長を遂げた(1955年頃から1973年頃まで)。ヤクザの栄枯盛衰と重なっている。高度成長は良い面ばかりじゃない。負の遺産もいっぱい残っていて日本は平成令和ともがき続けている。

日本人はどう生きるべきか?

利益優先社会型の典型である日本のグローバル企業も伸び悩んでいる。日本の近代化を振り返り、根本的に考え直すしかない。大げさに聞こえるかもしれないが、日本人一人ひとりがどう生き抜いていくかが問われている。
 
***  


2025年4月5日土曜日

日米自動車摩擦での思い出

1983年4月から5月にかけて一か月アメリカに出張しました。当時中国最大の自動車会社の社長や重役達を私が勤めていたコンピュータ会社の施設やユーザー訪問のエスコートでした。12名の中国人を一人の若い日本人が全米を旅するという無謀なものでした。中国の自動車メーカーは後の東風汽車集団(武漢)です。1980年代は「二汽」といって軍事トラックや装甲車を製造していました。1968年に毛沢東の号令により湖北省十堰(シーイエン)に設立した軍事企業でした。


1980年代前半は日米自動車摩擦の話題でもちきり。日本からアメリカへの自動車輸出が最高に達した頃でした。自動車だけでなくアメリカ各地で日本製品排斥運動が起こり、デトロイトではトヨタの車を叩き潰すストリートパフォーマンスまで行われていました。そんな時に中国人の若者がデトロイトで惨殺されました。メディアは「日本人に間違われた中国人が殺された」と報道しました。

12人の中国人との旅程はデトロイトへ行く予定はなかったのですが、LAやダラスでの自動車会社の訪問を含んでいました。ダラスでのユーザー訪問はアメリカが誇る長距離トラックの製造メーカー Peterbilt 社でした。映画『コンボイ』がヒットした直後でもありました。Peterbiltのトラックが映画で活躍します。アメリカ人の友人や多くの人から「注意しろ」とサジェスチョンを受けたのですが、「だったらマシンガンでも持たせてくれるか?」と返答したものでした。

幸いなことに12人の中国人と一人の若い日本人の珍道中は色々と問題はありましたが生きて帰国することができました。        

The autoworkers who attacked Chin blamed foreign vehicle manufacturers for hardships in the U.S. auto industry.




2025年4月4日金曜日

「英語ができる」って?(2010年7月のブログ)

http://ibg-kodomo.blogspot.com/2010/07/blog-post_24.html 

これは15年前のブログですが、文章は1990年代初めに書いたものです。今読み返しても英語に関する私の考えは何ら変わることはありません。

英語によるグローバル化の進展への対応なんて中途半端な試みは止めて、学校での英語は選択科目にしたほうが賢明だと思います。それよりも日本語、つまり国語教育に重点を置いた方が長期的には日本人のレベルは上がるでしょう。

私の限られた経験から言えることは、① 概念を獲得し理解し、② 自分の考え(主張)を持つこと、そして、③ 日本人なのだから日本をよく知ることが大事です。それがグローバル化の基礎です。

日本語もできないのに(自分の反省ですよ)英語を使いこなせるようにはなりません。  

福田恒存『國語教室』(昭和35年)
福田さんがこの本で繰り返し説いているのは、

1.文字は決して發音をそのまま寫すものでなく、意味を寫すものである。
2.その觀點に立てば、舊カナづかひは決して習得に困難なものでない。
3.逆に表音主義は國語の音韻體系を根本から破壞するだらう。
4.狂信的なカナモジ、ローマ字論者が國語審議會を獨占して、國語を取り返しのつかぬ混亂におとし入れつつある。

カナモジやローマ字の多様は日本人の思考を多大なる混乱におとし入れましたが、狂信的な英語教育がそれに拍車をかけつつあると思います。

***


2025年4月3日木曜日

英語がスラスラ? 無理です。

 
ゼレンスキーの英語とトランプとのミーティング

ホワイトハウスのオーバルオフィスでの公開記者会見です。両者が激しく口論するという前代未聞の事態が発生しました。「ゼレンスキー氏は母語でない英語で会談をしたために、不利な状況に陥った。ゼレンスキー氏は通訳を使うべきだった」という論調がメディア報道の主流のようでした。

私は20年ほどニューヨークに住んでアメリカ人の組織で働いていたのですが、結局は英語はできるようにはならなかったですね。しかし、ツルツルすべって掴もうとすればガブリと噛まれる、そういったサメのようなニューヨーカーと仕事をする上で気を付けていたことがあります。

① 相手よりもゆっくり話す
② I was just wondering if ~~~ で話を始める
③ could と might を多用しセンテンスを長くする
④ 相手の目を見つめる(eye ball to eye ball)
⑤ 絵を描いて説明する(簡単で抽象的なもの。絵を描けない人が多い)

英語がスラスラできなくても以上のことを守ればなんとかサバイブできます。ただし重要な文章(書く英語)は英語が書けるアメリカ人に任せることです。

風下に立たない。負け犬の遠吠えはやらない。臆病と卑怯は世界共通で嫌われるのです。

***

2025年4月1日火曜日

ボロのように憂鬱

 
武蔵野市の桜(3月31日)


昨日は曇っていて寒かったですね。曇り空の桜はボロのように憂鬱ですね。『或る阿呆の一生』は芥川龍之介の自死直前の文章です。


隅田川はどんより曇つてゐた。彼は走つてゐる小蒸汽の窓から向う島の桜を眺めてゐた。花を盛つた桜は彼の目には一列の襤褸(ぼろ)のやうに憂欝だつた。 が、彼はその桜に、――江戸以来の向う島の桜にいつか彼自身を見出してゐた。

芥川龍之介 『或る阿呆の一生』 (1927年)。

***

2025年3月29日土曜日

子育て ~ 親の心構え

 

NHK HP 「これからの育児」より

https://www.nhk.or.jp/minplus/0028/?fbclid=IwY2xjawJTwn5leHRuA2FlbQIxMQABHVLOCUI1QU7u1Puw_4xWLBe5zG2y9CiTmVlkwZRaGmqC4QRKVE4dNiZ5FQ_aem_HkTc3ML-k0CtfBjf2trgtQ


世の中には種々雑多な「子育て論」があり関連書籍も数多く出版されています。子育てを以下の2つのフェーズに分けて①だけにフォーカスする「子育て論」がほとんどだと思います。

① 成人するまでの子育て
② 成人した後の子供との関係

子供が成人すれば「後は勝手にやるだろう」じゃないのです。私ができているかどうかは別として、親の心構えは誠実で信頼できる親であることです。それが全てであると言っていい。成人した後でも親子関係は継続するのです。

それは親と子の関係に限らない人間関係そのものです。普通の他者との関係を忘れないのが親として自分が死ぬまで続く子育てじゃないですか? 多くの「子育て論」に書かれているような親になろうとする必要はない。子供は親の言っている事とやっている事のギャップを見ています。つまり親の言葉と行動(態度)との関係です。それが信頼関係構築の過程です。私は生意気なガキだったので、中学生の頃は教師のあらさがしばかりやっていました。結果、信頼できない学校や先生とは距離をとった。

日本社会はアダルトチルドレンばかりのような気がします。多くは子供の頃からの親との関係に問題があったからです。それがそのまま会社では上司と部下の関係になる。本心では他者と関われない。仮面をかぶり続けるのです。

要するに親は自然にふるまえばいい。

口だけの親も教師も政治家も誠実だとは言えない。そして信頼される訳はない(総理大臣と国民の関係も同じですよね?)。
  
***