2015年8月31日月曜日

コミュニケーションのための ibg ノート



ibgのノートを作りました。

  • A4横サイズ
  • ダブルリング綴じ(リング金具は白色)
  • 60P(30枚裏表)
  • 表紙 ibg ロゴ入り
  • 本文 ibg オリジナル KPT方眼5mm
  • ミシン目入り
  • 裏台紙はクラフト紙

ibg のコンサルタントが使う通常のビジネス用として作ったのですが、小さなお子さんの雑記帳や絵日記としても使えます。 子供に見開きの上のページに絵を画いてもらい、下のページには「よかったこと」、「よくなかったこと」と、右に「やりたいこと」を書いてもらい親子の会話を活性化します。 子供たちは、考えを絵にしたり、自分の考えを説明する練習にもなります。

企業社内のコミュニケーションも子供たちとのコミュニケーションも基本は同じだということです。 














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2015年8月28日金曜日

サファリパークよりも動物園が好き?

20年ほど前に作成したスライドです
(赤の丸は日本にある外資系企業で、青い丸はUSの歴史のある大企業です)

長くて少し硬い話題で恐縮ですが。。。。

先日、久しぶりに村上ファンドの村上世彰(よしあき)さんのことが話題になっていました(下の新聞記事参照)。

あちらこちらでグローバル人材の育成が話題になっていますが、今回の村上さんの件に関するメディアの報道を見ていて、まだまだ日本と欧米の間には大きなギャップがあると感じました。 それらのギャップに対する認識を深めることが、英語教育以上に重要なことなんだろうと感じました(必ずしもギャップは埋める必要はないと思います)。

そもそも、「会社(カイシャ)」に対する理解度が疑問です。 


村上ファンドが話題になった時(2006年村上ファンド事件)、「会社は誰のものか?」が話題になりました。 会社に関しては、大きく分けると2つの考え方があります。一つは、会社を商品と考え売買の対象とする、もう一つは、より良い製品やサービスを提供し社会に貢献する事業体と考えるのか。 どちらが良いとか悪いとかといった問題ではありません。 資本主義でのビジネス活動ですから、資金を金融市場や株主から調達し会社を運営し利益を還元するのはもちろんのこと、最終的には会社を商品と考えて売却して利益を得ても問題はない訳です

会社を起業し、成功させ(企業価値、つまり、会社の値段を上げ)、IPO(上場)し、売り抜けて(exitする)、若くして大金持ちになりリタイヤするのは、誰もが羨むサクセス・ストーリーです。 ところが、日本の場合は、会社は「社会に貢献する公器」という考え方が一般的ではないでしょうか? つまり、アメリカ型資本主義は「道義的にどうだろう」と考える人が多いのです。 要するに、これらが認識のギャップで、どちらの考えで会社をとらえるか、または、二つをバランスさせるかであって、会社の経営(またはガバナンス)も色々あるということです。

会社を上場した場合、買収される可能性は常にあります(黒田電気の場合)。 買収されたくなかったら上場しないことです。 黒田電気の株主の中には「投資しているんだから、儲かっているならもっと配当しろよ!」と思っている株主もいると思います。

私は村上さんの本心が分からないし、特に村上さんのファンでもありません、ただ、村上さんは会社の考え方として間違ってはいません。 メディアが、村上さんの会社の社長である娘さんも含めて、村上さんたちが極悪人であるかのような印象を拡散するのは間違っています。

最後に私が一番気になっていることを申し上げておきます。

日本の場合、保身で、つまり、「自分だけよければいい」という考えの人が加速度的に増加していることです。 会社のことを考えて一生懸命働くでもなく、自分の望むような会社を起業する訳でもない。


今、USでは「coddling America」ということが言われています。 「甘やかされたアメリカ」という意味です。 アメリカがcoddlingなら、日本はどうなるのでしょうか? 日本はサファリパークを、あたかも自然の中で生きているが如く何十年もやって来たので、生存本能が消滅しかけているのでしょう。 もしかしたら、その事を分かっていて、サファリパークじゃなくて、四方を檻で囲まれた動物園のほうを求めているのかも知れません。

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村上世彰氏の社外取締役選任、否決…黒田電気

電子部品商社の黒田電気の臨時株主総会が21日に開かれ、かつて「村上ファンド」を率いた村上世彰氏ら4人を社外取締役に選任する議案は反対多数で否決された。

議案は、村上氏の長女・絢氏が代表取締役を務める投資会社C&Iホールディングスなどが提出していた。C&Iは、村上氏個人などと共同で黒田電気株を約16%保有する大株主。

C&I側は、利益の全てを株主への配当に回すことや、他の電子部品商社との合併・買収(M&A)などを進めることを求め、黒田電気と対立。6月の定時株主総会後、C&I側が臨時総会の開催を求めていた。

一方、黒田電気はすでに取締役の半数を社外取締役が占めており、「ガバナンス(企業統治)体制は十分に機能しており、さらなる社外取締役の追加選任は不要」と、C&Iの議案に反対する考えを示していた。 


2015年08月21日 14時38分 Copyright © The Yomiuri Shimbun

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2015年8月20日木曜日

人として大切なこと

奈良の人力車には「奈良まちしぐれ」の手拭いが

年をとったら出しゃばらず 
   憎まれ口に 泣きごとに
  人のかげ口 愚痴言わず
  他人のことは褒めなはれ
  聞かれりゃ教えてあげてでも
  知ってることでも知らんぷり
  いつでもアホでいるこっちゃ

中国語に「修身養性」という言葉があります。 昔々の中国で、絵を画いたり楽器を演奏したりして情緒を育み、人間力を高めることを指します。 10年近く前、ibgの上海オフィスを開いた頃、大学を出たばかりの中国人新入社員に「修身養性」の話をしたことがあります。 コンサルタントを目指す若い中国人たちに「そんな古いこと言われても、、、」と一笑に付されました。

その中の一人 A さんが子育てのために退社することになりました。 この10年近くの間にボーイフレンドを見つけ、彼と一緒にマンションを買い、結婚をして子供が生まれました。 東京のプロジェクトで中延(品川区)にアパートを借り一年間滞在したこともあります。 仕事を終えて彼女が無事上海に帰国した時は、プロジェクトの成果よりも彼女の帰国のほうがホッとしたものです。

10年が経ち、今となれば果たして私に「修身養性」を語る資格があったのか気にかかります。 しかし、人として大切なことは、死ぬまで修行が続くということを自覚し、他者に対しても寛容であるということで、私はそう思うことで自己正当化しましょう。

A さん、幸福順利!

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2015年8月10日月曜日

外国語学習以前の問題


コンピュータ間で通信する際の取り決め手順をプロトコルと言います。 どのような状況でどのようなタイプのデータをどのような順番で送るかが記載されているものです。 国家間のプロトコルは、議定書と言われるもので、地球温暖化防止に関する京都議定書は英語では「Kyoto Protocol」と言います。

通常のビジネスにもプロトコルがあります。 今更何を、、、なのですが、これができていない。複数の国籍の人間が集まるプロジェクトにおいて、このビジネスプロトコルが守られない場合、プロジェクトはかなりの確率で泥沼化します。 外国語のコミュニケーション以前の問題なのです。

日本人の間でもビジネスプロトコルは重要です。 他者と向き合うことに苦手な人たちは特に注意を要します。 他者のことは理解できているというのは極めて傲慢な考えで、つまり、自分が一番正しいという謙虚さの欠如した態度でもあります。

上図はibgの設立時に作成したスライドの一つです。 お恥ずかしい話ですが、10年が経とうとしても、なかなか守られていないのです。

スライドは以下の事を説明しています。

結論が何なのかを明確にする(clarity)。 これは、話のテーマと言ってもいいものです。 相手は、理解すればいいのか、コメントを求められているか、アクションを要求されているのか判断します。そしてリアクション(応答)する。

相手から「なぜ?」と聞かれたら、理由を説明する。 理由の説明は相手が納得するまで繰り返し行う。 リアクションには、臨機応変に対応する。

コミュニケーションを完結させる(close the loop)。 欧米の比較的うまく行っている企業は、マネジメントの時間の大半をこういったコミュニケーションに使っています。

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2015年8月5日水曜日

学生諸君、安保を語る前に夏目漱石の『坊ちゃん』を読もう!

ツイッターやfacebook で集まった渋谷の高校生デモ(毎日新聞)

夏目漱石の『坊ちゃん』は卑怯なことが大嫌いな人間です。

初めて教壇に立った時に以下のように言っています(第三章)。

「先生と呼ぶのと、呼ばれるのは雲泥の差だ。何だか足の裏がむずむずする。おれは卑怯な人間ではない。臆病な男でもないが、惜しい事に胆力が欠けている」。

『坊ちゃん』に出てくる数学教師の山嵐は会津出身です。会津藩の「什の掟」の四番目は「卑怯な振舞をしてはなりませぬ」です。紆余曲折を経て、坊ちゃんは山嵐と親友になります。それは、卑怯や臆病を嫌う共通項があったからです。赤シャツや野だいこという卑怯で臆病な人間に立ち向かったのです。

物語の最初のほう(第一章)に坊ちゃんが兄と将棋をして、兄が卑怯な持ち駒をしたことを書いています。坊ちゃんは、勝敗よりも正々堂々としていることを重んじたのです。

「兄は実業家になるとか云ってしきりに英語を勉強していた。元来女のような性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一遍ぐらいの割で喧嘩をしていた。ある時将棋をさしたら卑怯な待駒をして、人が困ると嬉しそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間へ擲きつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに言付けた。おやじがおれを勘当すると言い出した」。

国会議事堂前でデモをやっている団塊世代の人たちや、渋谷に集まった高校生たちは、夏目漱石の『坊ちゃん』を読んだことがあるのでしょうか? 本来、日本人の美徳って、勝っても負けても正々堂々としていることであり、困っている人がいれば助けるというものじゃなかったですか? (世界の中で日本という島国だけが平和で有り続けるなんてないということです)。

夏休みで暇だということは分かります。でも、戦争のことを何一つ真剣に調べることもせず、炎天下でよく分からないスローガンを声高に叫ぶより、クーラーの効いた図書館で夏目漱石でも読んでみては如何でしょう。

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2015年8月4日火曜日

集中力を高める

中小企業静岡(2003年 7月号 No.596)より

集中力というのは非常に大事だと思います。どんな領域でも、とてつもない集中力を持っている人が勝者になるからです。人並み外れた集中力を備えた人がその道の名人になるのです。

私はごく一般的な日本人なので、否、平均的な日本人より集中力では劣る、筋金入りの「ながら族」です。子供の頃から集中力がない。 小学生の頃から勉強は音楽を聴きながらテレビを見ながらでした。 私がどの道の名人にもなれなかった最大の理由は、この集中力のなさだと思っています(他にもいっぱい原因がありますが、、、)。

日本は労働生産性が低いとされています。OECD加盟34ヵ国中で第22位です(2013年)。さらに、主要先進7ヵ国では1994年から19年連続で最下位です。日本人の能力が劣っているのではなく、最大の原因は残業による労働時間が長いことです。1日24時間1年365日は世界中同じです。日本人は時間を区切り集中することなく、24時間365日をすべて満たすまで仕事が膨張する傾向にあるのです。要するに、メリハリがない。これは一つの仕事を完成させるのではなく、時間をすべて満たすまで仕事を増やしているだけなのです。

凡人の私でも僅かながら集中力を高める方法があります。

私は朝の時間を使っています。若い時から何も用事がない場合は早く寝て朝は早く起きるようにしています。5時とか6時ではダメです。3時とか遅くとも4時です。テレビにも家人にも誰にも邪魔されない時間を2~3時間とるようにするのがいいと思います。私の場合、今更早朝に集中してどうなるのかという意見もあるでしょうが、色んな事を考えることもリタイヤ後の娯楽の一つだと考えれば、早朝の数時間って楽しいのですよ。

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2015年8月2日日曜日

医者のコミュニケーション能力

今年の梅の土用干し
梅干し一つ一つにも個性があるように感じます

近所の耳鼻咽喉科と眼科に行ってきました。眼と耳の調子が同時におかしくなりました。

眼のほうは昨年12月に免許更新に行った時は問題なかったのですが、その後左目の視力がかなり落ちてきました。 2月に東名自動車道で左後方からきた覆面パトカーに不覚を取ったのも左目視力の問題があったのです(もっとも覆面パトはシルバーか白のクラウンという私の先入観もありましたが、、、)。

最初に耳鼻咽喉科に行きました。若い先生は耳の事以外に全くと言っていいほど関心を示しません。延々と聴力の検査をしてからやっと先生にお目にかかり問診となりました。鼻や体の他の部分と耳の関係に関しては何も言ってくれません。私は「脳と耳の関係が原因とは考えられませんか?」と質問したのですが、「オジサン、面倒なこと言うなよな~」って感じで、ほとんど相手にされませんでした。

眼科でも全く同じでした。延々と視力検査をしてから白内障の検査です。白内障の検査は散瞳剤を点眼し、瞳孔を開いて眼底検査を行います。やっと問診です。白内障はまだ深刻ではないとのことで、緑内障も検査したほうがいいということになりました。ところが、散瞳剤を点眼したために緑内障の検査はできないとのことでした。だったら、「最初に問診しろよ!」ってことですよ。私は百歩譲っても納得できませんでしたが、先生の出した結論は、視力が落ちているから眼鏡を交換すべきだとのことです。

私は医学に素人の患者ですから、専門家である先生のいう事を疑わずに納得すればいいのでしょうが、有機体である人間を相手にしているのですから、検査の結果を映し出すパソコンのディスプレーを見るのは最小限にして、もっと患者をほうを見て患者のスペックに合わせた診察をしてもらいたいものです。

先日のブログにも書きましたが、夏目漱石は、「英語の学習法は、会話とか文法とか読解とか、細かな科目に分けて教えるのはよくない、互いに連絡のつくように教え込んでいかなければならぬ」と言っています。医学に関しても全く同じことが言えると思います。理想的には医学の範疇を超えたあらゆる領域からの様々なアイデアを全体として統合し、それを患者とコミュニケーションする能力が必要とされるのでしょう。

武蔵野市は全国でも開業医の多い市だそうです。医者の経営も大変で効率性を求められるのでしょうが、もう少し有機的に統一のある診療に努めてもらいたいものです。

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