2013年3月30日土曜日

日本社会は内弁慶

武蔵野市運動競技場 ~ トラックの向こう側には憂鬱な襤褸(ボロ)か?

一日のうちに、能率的な時間帯と、あまり能率的でない時間帯があります。 私の場合、夜8時ころから丑三つ時、つまり、午前2時頃までは能率的でないので、寝ることにしています。

私のゴールデンタイムは、午前3時から午前6時。 その時間帯に、リーダーシップについて考えてみました。 リーダーシップを理解しない人は、適応力に欠ける傾向にあるという結論に至ったのです。 明治期の日本と違い、今の日本は異質なものに適応したくない傾向が強いのではないか? つまり、社会全体が、ベイビーのように内弁慶になっているのかも知れない。 それは、スペインの哲学者オルテガが言った「甘やかされたお坊ちゃま状態」なんでしょうか。

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2013年3月27日水曜日

桜の森の満開の下

武蔵野市役所前

坂口安吾と言う人も長いこと誤解していた人です。

学生の頃に、『桜の森の満開の下』という坂口安吾原作の映画が上映されました。 その映画の印象がよくなかった。 だから、坂口安吾は敬遠していました。 今、『堕落論』を読み返してみると、この人はすごいことを言っていることが分かりました。 言っているタイミングがすごい。 敗戦後、半年で以下のように言っています。

「終戦後、我々はあらゆる自由を許されたが、人はあらゆる自由を許されたとき、自らの不可解な限定とその不自由さに気づくであろう。人間は永遠に自由では有り得ない。なぜなら人間は生きており、又死なねばならず、そして人間は考えるからだ。政治上の改革は一日にして行われるが、人間の変化はそうは行かない。遠くギリシャに発見され確立の一歩を踏みだした人性が、今日、どれほどの変化を示しているであろうか」 坂口安吾『堕落論』(1946年)。

安吾が今の日本に関して問われれば、以下のように回答するのではないかな、、、、。

「日本や日本人とは、いつまでたってもお気楽なものだ。 むなしい人間関係の上に安眠し、社会制度や国際情勢というものに全身を投げかけて平然としている。 堕落のもつ性格の一つは孤独であると敗戦直後に言ったではないか。 だから、人間の持っている自然の姿(人性)に帰るためにも、もっと孤独になれ。 とことん堕落しろ! そして、 一人荒野を歩いて、そこから這い上がれ」。

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2013年3月24日日曜日

芥川龍之介の桜


隅田川はどんより曇つてゐた。彼は走つてゐる小蒸汽の窓から向う島の桜を眺めてゐた。花を盛つた桜は彼の目には一列の襤褸(ぼろ)のやうに憂欝だつた。 が、彼はその桜に、――江戸以来の向う島の桜にいつか彼自身を見出してゐた。 芥川龍之介 『或る阿呆の一生』 (1927年)。

『或る阿呆の一生』は、1927年の芥川自殺直後に見つかった文章で、彼の人生を書き残したものと思われています。 米騒動、シベリア出兵、そして、1923年には決定的な関東大震災が発生しました。 芥川じゃなくても、多くの人は憂鬱だったのだろうと思います。

明治大正時代が終わり、時代は昭和初期の暗黒の時代へ突入します。 芥川をヒーローとした太宰治は、もっと憂鬱になったのでしょうね。

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2013年3月23日土曜日

映画 『007 スカイフォール』

台湾からの帰りに飛行機の中で、映画『スカイフォール』を観ました。 賛否両論のようですが、私には興味深い映画でした。
新旧交代しても、スパイ(インテリジェント・エージェント)は存続する。 スパイが使うツールは時代とともに進化するが、秘密諜報活動そのものは、時代にかかわらず存在し続ける。 今回のボンド・ムービーは、「HOW TO DO」 じゃなくて、「WHAT TO DO」が重要だということを教えているのだと、独善的な解釈をしました。 今の日本はツール、つまり、「HOW TO DO」ばかりにこだわって、本質である「WHAT TO DO」を見失っているような気がするのです。
今回、初期のボンド・カーであるアストンマーチンDB5が出てきたのはよかったですね。 やはり、ボンドにはこの車が似合っている。 最後に爆破されて粉々になっちゃいました。


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2013年3月20日水曜日

どっちがリーダー?


桜も咲き始めたようで、犬の散歩、、、、と思ったのですが、、、、。

私はチャーリーのリーダーですから、チャーリーに頼まれたって抱っこしたりしてはいけません。 飼い主である私をリーダーとみなすように誘導しないといけないのです。

駄目ですね。 バカな子ほどかわいい、、、。 もう、どっちがリーダーでも構わないではありませんか。 仕事だって、新しい時代のリーダーは、部下の下僕として支援する、つまり、エンパワーメントですね。 今の時代のリーダーシップというものです。

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2013年3月17日日曜日

学問ってのは何でするの?


朝からテレビで立川談志の「やかん」をやっていました。 落語の本題に入る前に演目に関わりのある小話が語られ、これを「枕」といいます。 ご存知ですね。 

「上品とは?」
「上品? 欲望に対する動作がスローモーなんだ!」

立川談志のおもしろさは、「枕」です。 なぜか? やはり、真理をついてるからでしょう。 若い頃は、談志の毒気ばかりが鼻について、あまり好感はもてませんでした。 しかし、それは自分に、理解するだけの知識や教養がないためだったのです。 勿論、今でも十分とは言えませんが、自分が年をとるにつれて、談志の「枕」が少しは理解できるようになりました。

「やかん」という咄は、自分は何でも知っていると豪語するご隠居が、八っつぁんから出される質問に対して、いかにももっともらしく答えていくというものです。 

「学問ってのはなんでするの?」
「貧乏人のヒマつぶしだよ!」


「そうですか?」 
「そう!」

「努力ってのは?」
「努力? バカに与えた夢だ!」

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2013年3月15日金曜日

石光真清の手記

石光真清の手記 全4巻 中公文庫

石光真清さんは、明治元年の熊本生まれ。少年時代を神風連や西南の役の中で過ごし、陸軍中尉で日清戦争に参加し台湾で実戦を経験しました。その後、ロシア研究のためロシア留学、特務を帯びて満州を駆け巡りました。ロシア革命後、再びシベリアへ渡り諜報活動を行いました。少年時代は柴五郎陸軍大将(『ある明治人の記録』中公新書)の家にも下宿したそうです。  

三島由紀夫が共感していた神風連から西南の役の頃の日本の様子、日清戦争と日露戦争の間、そして、ロシア革命後の満州・シベリアを舞台にした当時の国際情勢、ロシア人中国人朝鮮人、そして、日本人の勢力関係が非常によく分かります。それは、歴史小説でなく、石光真清という人が直接体験した真実を綴った手記だからです。

小説『坂の上の雲』やTVドラマ『八重の桜』もいいのでしょうが、日本人なら『石光真清の手記』や会津出身である柴五郎の遺書『ある明治人の記録』を読んでもらいたいですね。     

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2013年3月13日水曜日

フィリー・ステーキ・サンドイッチ


「最近、食べ物の写真がない」と、友人から指摘がありました。 ブログサイトの容量の制限から解像度を高くできないので、食べ物の写真は躊躇していました。 でも、冷静に考えてみると、私のカメラの腕では解像度なんてあまり関係ないかも知れませんね。

三鷹でフィリー・ステーキ・サンドイッチは売っていません。 だから、自分で作ります。 三鷹北口のパン屋で売っているバゲットを使うと、フィリーで食べるよりも、マンハッタンで食べるよりも、ずっ~と美味しいフィリー・チーズ・ステーキ・サンドイッチが出来上がります。 ホントですよ。 薄切り牛肉を玉葱と一緒に炒めて、バゲットに乗っけて、チーズを上においてオーブンで焼くだけです。

先週は久しぶりに台湾にいました。 台湾の野菜はオイシイ(日本の野菜に近い)のにパンがもう一歩、惜しい。 やはり、台湾では薄味の台湾料理を食べるべきですね。

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2013年3月10日日曜日

台湾アワビとは?


台湾アワビとはトコブシのことです。 九孔(九つの穴)といいます。 たくさん養殖されていて、日本にも輸出されています。

去年は大阪でキックオフ・ミーティングを行いました。 今年は台湾の台北市です。 中国人スタッフ全員のビザを自分たちで取得して台湾でミーティングをするなんて、そんな面倒なことを実行する会社なんてありません。 でも、やっちゃったんですねぇ。 ibgは、直接経験の積み重ねを重視していますから。

困難に挑戦し、自分たちの力で自分たちの未来を切り拓いていくという生命力を少しは感じられたかな、、、。
  
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2013年3月9日土曜日

立派な人 ~ 明石元二郎

台北市林森公園 明石総督の旧址

善政の人、第七代台湾総督 明石元二郎陸軍大将(1864-1919年)

台湾総督在任中は、台湾電力を設立し水力発電事業を推進しました。日本人と台湾人が均等に教育を受けられるよう法を改正、現在も台湾最大の銀行である華南銀行を設立しました。道路や鉄道など交通機関の整備(中部海岸線鉄道と東西横貫道路の解説)、森林保護の促進など精力的に事業を進めました。

「自分の身に万一のことがあったら、必ず台湾に葬るよう」との遺言によって、遺骸は郷里の福岡から台湾に移され 日本人墓地に埋葬されました。 しかし、日本敗戦後、日本人墓地には中国共産党に追われた国民党軍の兵隊や難民が住み、墓は荒らされ墓地はスラム化し、惨憺たる状態になりました。 1990年代になって墓は新北市に改葬され、2010年、墓前の鳥居は元の場所である現在の林森公園に建てられました

WBC 台湾・謝長亨監督「国際試合の場で日本の高いレベルに近づきたかった。プレッシャーはかけられたと思う。感動的な試合だった」
2013390149  読売新聞)

日本の監督さんも台湾を称えてほしいよね。それが大人というものです!

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2013年3月8日金曜日

ゆうべ不思議な夢は見なかったが、、、

台湾ビールは美味い、変わらない味です。これも日本占領のなごり。

台湾に来ているのに、夏目漱石の「ゆうべ不思議な夢を見た」で始まる『夢十夜』です。

その「夢八夜」が突然気になったので、読み返してみました。 床屋で鏡の前に座っていると、鏡に床屋の前の通りが映り、様々な人が通り過ぎてゆくのが見える、そして、自分も同じ鏡の中に映っている。 場面設定がいいですね。でも、どう解釈したらいいのか難しい。たぶん、文芸評論家などの解説は山ほどあるのでしょう。

私は独自の解釈をします。今の日本人にこそ大切なことを言っているのかも知れません。

世間の無常、要するに、世の中の流れの中に埋没して自分を見失って押し流されてはいけませんよと言いたいのかも知れません。 鏡に映る往来が世の中の流れ、そして、同じ鏡に自分が映っている。自分の顔を見て、時代に流されない強い精神力を確認したのか? それとも、散髪を終え外に出て、いつまでも変わらない金魚売を見て力強く思ったのか?

ちょっと、解釈に無理がありますな、、、、。

「そうして金魚売がその後にいた。金魚売は自分の前に並べた金魚を見つめたまま、頬杖を突いて、じっとしている。騒がしい往来の活動にはほとんど心を留めていない。自分はしばらく立ってこの金魚売を眺めていた。けれども自分が眺めている間、金魚売はちっとも動かなかった」 『夢十夜』 夏目漱石 1908

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2013年3月4日月曜日

子犬のしつけ、人間のしつけ



犬は、しつけることで、その犬の賢さが発揮されるそうです。

最近の人間の世界は、個人に信頼性がない状況なのに、他者と信頼関係を構築しようとしていませんか? そして、グローバル人材と称して国境をまたごうとする。 そんなことしたら、いくら賢くたって、その賢さは発揮されないで、間違った方向に向かっちゃいます。

チャーリーに、「おまえの信頼性を高めろ! エトスが足りない!!」と言っても仕方がないので、アイコンタクトで信頼関係の構築を継続するしかないのでしょう。

犬だって、子供だって、大人のビジネスマンだって、褒めてしつけるのが基本。要するに、批評って良い点を見つけることなんですね。 小林秀雄さんがどこかで書いていました。
 
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2013年3月3日日曜日

エトスが足りない

アリストテレスは著書『弁論術』の中で、人を説得する要素は「エトス」、「パトス」、「ロゴス」の3つだと教えました。 「エトス」は人柄、品性、精神などを表し、発信者にどれだけ信頼性があるかを意味します。 「パトス」になって初めて相手が関係してきます。 パッション、つまり、情熱です。 どれだけ熱意をもって相手に伝わるかなのです。 最後に「ロゴス」。 これは、ロジックですから論理性のことです。

私が問題提起したいのは、今の日本では、エトスを省略してパトスやロゴスに行ってしまうことです。 ひどい場合は、パトス、つまり、相手のことなんか関係なしに「ロゴスさえ正しければそれでいい」と主張することがあります。 アメリカ人といえば、粗野でディベートで相手を負かすことだけに集中しているような印象があるかも知れませんが、立派なアメリカ人はエトスがちゃんとしているし、徳もあるのです。 そうじゃないと、リーダーにはなれません。

さて、やんちゃなチャーリーのエトスはどう発展するか?

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2013年3月1日金曜日

台湾の二・二八事件


二・二八事件は、1947年2月28日に台湾の台北市で発生し、その後台湾全土に広がった、当時はまだ日本国籍を有していた本省人(台湾人)と外省人(在台中国人)との大規模な抗争。約40年後、戒厳令の終了と政府側の遺族への罪によりようやく終結した(ウィキペディア)。

二・二八事件は、ウィキの説明のように単純なものじゃない。 ウィキペディアは便利ですが、盲信してはいけない。 実際は、大陸から逃げてきた国民党(蒋介石軍)による台湾人の大虐殺が起こったのでした。 今の台湾の政治経済体制でタブー視したいのはわかりますが、こういった重要な歴史的事実をなぜ日本の教育は無視するのでしょうね。 自分たちの歴史を謙虚に自覚することがなければ、その国は国家として永遠に幼稚で野蛮なままでしょう。 もともと台湾や日本は、そういった国じゃないはずだ。

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