2012年2月29日水曜日

今朝の武蔵野

今朝の通勤風景

今の上海は非常に刹那的です。
いっぽう日本は「貧すれば鈍する」でしょうか?

足下を見て歩きましょう!

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2012年2月27日月曜日

見え過ぎはよくない

小林秀雄は、「宮本武蔵は偉い」と思いました。 『私の人生観』で宗教や音楽の話と一緒に宮本武蔵の話をしています。『私の人生観』は小林秀雄の講演(昭和23年 大阪)を文章におこしたものですが、私は何十年もの間、話の流れがよく分からなかった。

宮本武蔵は、ひたすら自分の体験の積み重ねから『五輪書』を書きました。 いかなる宗教の力でもなく過去の書物でもなく中国の古典でもなく、自分の体験だけをベースに集大成として死ぬ前に『五輪書』を書いたのです。その『五輪書』の中で、目には二つあると説いています。

武蔵は、自分の脚下だけを見てきました。 禅でいうところの「照顧脚下」です。 私は、脚下を見ると言う事は、見えないものを見ることでもあると考えます。 武蔵が言うところの「観の目」と「見の目」の二つをつかって見ることではないでしょうか? 見は物理的に見ることで、観は心の眼で見ること。 武蔵はこの二つの目が重要だと説いたのです。 宗教に関係ない武蔵がこういった悟りに達したことが凄いのですね。

2月の ibg の月例ミーティング

中国の問題点は、物理的に見えるモノを獲得することに皆が右往左往していることです(それが唯物論だなんて冗談は言ってられません)。 心の眼を忘れてしまった、つまり、氷山の海面上の部分だけを見てあたふたとしている。 今の中国では昔と違って余りにも色んなものが見える。見え過ぎているからなのでしょう。

私はバブル期に日本にいなかったので正しいかどうかは分かりませんが、バブル期の日本に似ているのかもしれません。 アメリカは弱くなった、でも一部の人たちから脚下を見ることを始めているような気がします。 日本はどうか? マスメディアのフィルターを無視し、自分の心の眼で見るようになれば覚醒するでしょう。あと一息かも知れません。 しかし、中国はまだまだ目に見える対象だけを見て追いかけている状態だと思います。

過去のブログ(『私の人生観』について)
http://ibg-kodomo.blogspot.com/2011/05/blog-post_03.html

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2012年2月26日日曜日

上海 タクシードライバーのランチタイム







上海市政府にインフレターゲットなんてあるのか分かりませんが、タクシー料金は随分と上がりました。 住宅もバブル状態が続いています。 多くの高齢者を抱える上海のような大都市は、社会福祉の原資が必要で、住宅関連の税収が不可欠です。 バブル崩壊なんて考えられないのでしょう。

住宅(マンション)を求める若い人たちは上海の中心地から外へ外へと移らざるを得ない。昔の東京のようですね。通勤1時間90平米で2000万くらいです。

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2012年2月25日土曜日

上海の夕食











ibgでは月に一度全社会議を行っています。夜は全員で夕食会です。写真は夕べのディナーの一部です(落花生、紅焼牛肉、北京ダック)。 上海の中華料理もプレゼンテーションが随分と進歩しました。

ibgのコンサルタントはほとんどが1985年以降の生まれですから20代の半ばです。インターンの2人は1991年生まれです。

中国の若者は気の毒なほど大変です。一人っ子政策のおかげで過保護の中で育っています。 しかし、大学を卒業し社会に出ると、いきなり生存競争の過激なジャングルが待っているのです。 落差が大きい。 仕事、住い、結婚、子育て、どれをとっても日本では想像できないくらい大きなプレッシャーです。 更に、何と言っても「孝」の国ですから、親は老いたら子供が面倒を見てくれると信じています。 親が「三界の首枷」である場合が多いのです。

日本は、ゆりかごから墓場まで非常に優しい過保護な状況が継続します。 今話題の社会保障にしても、中国やアメリカと比較した場合、ボロボロどころか国民にとって理想に近いものです。 そう、日本は毛沢東が目指した理想的な社会主義国家なのです(急速に崩れ始めていますが、、、)。 そして、日本の官僚なんて中国のものに比べたら可愛いものなのでしょうね、たぶん。

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2012年2月24日金曜日

ibg 上海オフィスの本棚から


マイケル・ポーター、ピーター・ドラッカー、スティーブン・コヴィー、デール・カーネギーから日本語の入門書まで。 ibg 上海オフィスにあった本を並べてみました。 『毛沢東選集』があってもいいと思うのですが、今の中国の若者は毛沢東を読みません。 実は、毛沢東の語ることの中には、コンサルタントの本質に近いことがいっぱい埋もれているのです。

「理論の基礎は実践であり、理論はまた転じて実践に奉仕するものである」毛沢東『実践論』(1937年)。

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2012年2月23日木曜日

上海にある日本人経営のベトナム料理店


中国に関する知識も頻繁にアップデートしていないと、間抜けになるよりほかないですね。

上海が和(やわ)らぎ社会になるか分かりませんが、 「上有政策、下有対策(上には政策が有るが、下には対策が有る)」で、上海にうごめく人たちは自ら考え自ら行動している。 もしかしたら、日本よりも自由な社会なのかも知れません。










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2012年2月21日火曜日

アメリカの経営者と管理職

アメリカの経営者は株主から経営を委託されて選ばれた人たちです。 多くの場合、経営者としての能力があり実績がある人を人材市場から選んで来るわけです。 市場原理が働くわけですから、優秀な人を探してきて経営を委託するにはお金がかかります。 経営陣として採用された側も、結果を出さなければ報酬がカットされるか、いつまでも結果がでないとクビになります。 そして、それを判断するのは株主です。 それぞれの役割が明確になっていて、責任の所在がはっきりとしているのが原則です(もちろん、例外もありますが、、、)。

経営者でなくてもアメリカには日本型サラリーマンはほとんどいません。 普通の従業員でも労働市場がその人の報酬を左右します。 職務内容に従って人が採用され報酬が決まります。 業務の分掌があり、労働市場があり市場価値があります。 人件費はコストの中で一番大きなものですから、常に仕事の成果とコストを比較して採算を考えた上で人を採用したり解雇したりしている訳です。 在庫調整と同じことですね。 つまり、「ジャストインタイム(Just In Time)」を人に適応しているのです。 管理職の仕事はこういったことをマネージするのに多くの時間が費やされます。 日本の管理職の仕事とは随分と違っています。

日本では会社の給与の仕組みがあって、その中で給料が調整されます。 労働市場の相場との連動はアメリカほど緊密ではないと思います。 会社全体の給与体系の見直しと言うのもあるでしょうが、頻繁にはやりません。 労働市場とあまり連動していないからです。

だったら、アメリカ型と日本型とどちらがいいのか?

私は日本は日本型でないと無理だと思います。 アメリカでも監視する立場の人や組織がちゃんと機能していない場合、大きく得をしたり損をしたりする人がでてきています。 資本主義という厄介なモノは限りなく不公平です。 すべての平等を強烈な建前とする現行憲法を国の基本法とするかぎり、今の日本型社会主義制度のままでやって行くのが幸せなのかも知れません。

グローバル化って難しいですね。

日本型ショートケーキ

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2012年2月20日月曜日

「見ざる、言わざる、聞かざる」のすすめ

日光東照宮の三猿

何事も「過ぎる」のはよくない。 大事なことを忘れたか、または、知らないで、どうでもよいことばかり知り過ぎていませんか? もしかしたら、大事なことから目をそらさせるための何らかの良からぬ力が働いているのか?

今は、大人に対しても 「見ざる、言わざる、聞かざる」 のすすめです。

http://ibg-kodomo.blogspot.com/2010/12/blog-post_10.html

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2012年2月19日日曜日

(続) Take It Easy

昨日の独り言を説明します。

イーグルスのグレン・フライは、この『Take It Easy』のメッセージは「Don’t get too big too fast」だとコメントしたことがあります。 「too」は「過ぎる」と言う事で、何ごとも「過ぎる」のはよくない。 1994年の有名なイーグルス再結成ライブ『Hell Freezes Over』で、グレン・フライが「here’s how it all started」と『Take It Easy』を紹介し、曲が始まりました。

『Take It Easy』の歌詞の「We may lose and we may win, though we will never be here again」って、「万物流転」だし、「無常という事」でもあり、芭蕉の「不易流行」でもあります。 特に「We will never be here again」のところは、人生って戻ってこないのよ、つまり、不可逆性、人は老いて必ず死ぬのよと言っているように聞こえたのです。 だから私は老後なんて考えられない。 Like a rolling stone なのです!

イーグルスは彼等を一躍有名にした『Take It Easy』には特に思い入れがあるのでしょう。 だから、グレン・フライが「here’s how it all started」と曲を紹介したのでしょうね。

最後に独り言の締め括りとして自慢話です。

1998年、フロリダ州オーランドでグレン・フライとジョー・ウォルシュと言葉を交わす機会がありました。 イーグルスのコンサートがホテルであり、コンサートのリハーサルに来たグレンとジョーに偶然出くわしたのです。私は会場となるホールの前のテーブルで仕事の打ち合わせをしていました。 そこにグレンとジョーがリハーサルに現れたのです。丁度私が座っていたテーブルの脇を抜けていきました。

「Hi guys, how you doing?」と白のストラトキャスターを片手に持ったジョー・ウォルシュが私に声を掛けてくれました。 一緒にいたグレンはアイコンタクトをしてくれたのです。 驚きましたね。

イーグルスに関する独り言はこれでオシマイです。

『Take It Easy』はグレン・フライの12弦ギターで始まりますが、私の12弦ギターは眠ったまま。。。。

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2012年2月18日土曜日

Take It Easy


今日は全くの独り言です。

30年ぶりに芝浦を歩きました。なぜかイーグルスのデビュー曲『Take It Easy』(1972年)が頭の中でグルグルと回ります。

We may lose and we may win, though we will never be here again.
So open up, I am climbing in, so take it easy.

この部分の歌詞は印象的ですね。 私は30年ぶりに芝浦に戻ってきました。 中国やアメリカのどこかで野たれ死んでいたかも知れない。 でも「Well, I am a standing at a corner of Shibaura, Tokyo」で、 「never be here again」じゃなかったですが、、、。

「Take It Easy」だからですかね? 人生は不可逆性、いつ終わってしまうか分からない。 楽しまないと!

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2012年2月16日木曜日

ソーシャルメディアじゃなくて、自分の足元を見る

石は石でしかないか?

「仁は遠からんや、我れ仁を欲すれば、斯(ここ)に仁至る」 。(子曰、仁遠乎哉、我欲仁、斯仁至矣)。

孔子が言った。 仁の道は、我々の手のとどかない、遠いところにあるものではない。 自分が仁の道を求めさえすれば、すぐに仁の道は来るものだ。

禅で言うところの照顧脚下、つまり、「キョロキョロしないで、自分の足下を見ろ」ということですね。

アメリカで長く暮らし世界中を旅した禅の大家である鈴木大拙は、「人間の人間たる所は、社会的生活をなし能うところにある」と言っています。 「人間特有の価値ある生存を可能ならしめるところのものがなくてはならぬ。 このなくてはならぬものを完成していくのが万物の霊である」と。 「万物の霊」って福沢諭吉も言っていましたが、人間のあるべき姿のことです。 集団生活だと蟻や蜂のようだし、独立独行だと獅子や虎のようで、人間であるならば、社会的生活を全うしなければならないと説いています。 社会的生活を通して自己を見つめる。 日常を大事にしろということでしょう。

政治でもビジネスの世界でも、例え、それが国境を跨ぎグローバルになろうとも、人間ですから「社会的生活をなし能う」ことが大事ですね。 そして、自分の日常が存在するドメイン(領域)のレベルが高ければ高いほどいい。 どうも日本は社会的生活をマスメディアという媒体を通して行う。 自分の眼で見て判断しない習慣がついている。 だから、誰かに都合のよい幻想か、自分にとって都合のよい幻想となる。 結果、ハクスリーのディストピアの世界になっていくのだろうと思います。 つまり、常に全体主義に陥る危険性があるということです。

自分の「観の目」と「見の目」(宮本武蔵「目付之事」)で判断して、仁の道に至りましょう!

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2012年2月15日水曜日

専門家とコンサルタントの違い

学生さんたちは就職活動に大変だと思います。 就職試験なんて、学生さん個々の人格を問うている訳じゃないので、面接で落とされようが気にする必要はないのです。 一流と言われる会社でも来年はどうなっているか分かりませんよ。

ibg上海オフィスでも来週から中国人の大学生3名がインターン生として入ってきます。 1年間インターンとして働き(有給)、1年後、そのまま入社する人もいれば他社に行く学生もいます。

上の図は、ibgの面接で最初に説明するスライドです。 ほとんどの応募者はコンサルタントやコンサルティングビジネスを理解していないのが普通なので、専門家とコンサルタントの違いを説明するのです(内緒ですが、実は日本のコンサルティング業界の人たちも知らない人が多いのですよ、、、)。

ちなみに、英語で「body shop」という言葉があります。 これは、アメリカで見かける自動車の板金工場を指しています。表面上のへこみやキズを修理する店です。 故障を直すのでなく、外見だけを修復する修理工場で、品のないコンサルタントが競争相手のコンサルタントを見下すのに使います。

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2012年2月12日日曜日

芥川龍之介 『蜘蛛の糸』


芥川龍之介は太宰治のヒーローだったことは有名です。 最近、「太宰は芥川の人生を逆さまに生きた」とどこかで読みました。かっこいい表現ですね。 しかし、『或る阿呆の一生』を書いて自殺した芥川、『人間失格』を残して自殺した太宰、「逆さまに生きた」というよりも、太宰は芥川をロールモデルとして芥川の人生を年代順に辿ったのではないでしょうか。

小学校の時に太宰治の『走れメロス』を習います(以前、ブログに書きました)。 そして、芥川の『蜘蛛の糸』も国語の教科書にありましたね。 小学生だった私は、この『蜘蛛の糸』を読んでから、「小さな虫でも殺しちゃいけない、地獄に堕ちる」と思ったものです。 今の若い先生方は小学生に『蜘蛛の糸』をどう教えているのでしょう? 非常に興味があります。 だって、今の日本って国中が自己中心的なカンダタの国になっちゃいましたからね。

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『蜘蛛の糸』は芥川龍之介(1892~1927)の著作と思われていますが、鈴木大拙(1870~1966)が日本語訳した『Karma : a story of Early Buddhism』(Paul Carus 1852-1919)が原作だそうです。

『蜘蛛の糸』芥川龍之介(1918年) 青空文庫

「そこで 陀多(カンダタ)は大きな声を出して、「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己(おれ)のものだぞ。お前たちは一体誰に尋(き)いて、のぼって来た。下りろ。下りろ。」と喚(わめ)きました。その途端でございます。今まで何ともなかった蜘蛛の糸が、急に 陀多のぶら下っている所から、ぷつりと音を立てて断れました。ですから 陀多もたまりません。あっと云う間もなく風を切って、独楽(こま)のようにくるくるまわりながら、見る見る中に暗の底へ、まっさかさまに落ちてしまいました。後にはただ極楽の蜘蛛の糸が、きらきらと細く光りながら、月も星もない空の中途に、短く垂れているばかりでございます」。

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2012年2月10日金曜日

日本的なるものの自覚


鈴木大拙は『日本的霊性』(岩波文庫)の中で以下のように言っています。

「日本的霊性(日本的宗教意識)は鎌倉時代に出現した。 平安期の400年は鎌倉時代の準備期間である。その後、今日に至るまで日本人の品性・思想・信仰・情調が養われてきた。 こうして養われてきたことが基礎となって、その上に世界的な新しきものが築かれることと信ずる。 ここに今日の日本人の使命がある」。

鈴木大拙は、恐らく、東洋にも西洋にもそれぞれの長所短所があり、日本人は東洋的な見方をしっかりと理解しておかないと西洋とは交われない、つまり、グローバル化は無理だと言いたかったのでしょうね。 今の時代だと、東洋的といっても複雑なので、少なくとも日本的なるものを自覚していないと、西洋との交際は成り立たないということです。

もし、ジョン・レノンが生きていたら、ジョンの世界的な新しい感性が日本的霊性と融合し深まり、ジョン・レノンを通じて世界に発信できていたかも知れない。そして日本は覚醒していたかも知れません。

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2012年2月7日火曜日

やわらぎ社会だった日本

後世に残して欲しい消火栓の蓋

「和諧社会」って中国 胡錦濤政権のスローガンです。

これが「かなりのレベルで完成されたのが日本だ」と言うことは、以前にもふれたと思います。 が、ここ数年で加速度的に崩れ始めています。 敗戦後の高度成長期や明治じゃなくて、いっそのこと藤原京の時代まで遡って考えましょうか。

6~7世紀に聖徳太子という人がいました。 一万円札は福沢諭吉ですが、以前は聖徳太子でした。 日本最初の憲法は聖徳太子が定めたもので、「憲法十七条」と言います。 小学校で習いましたね。

有名な部分は「和を以て貴しとなす」というものです。 「カドを立てないで仲良くするのが一番大事」といった意味で理解している日本人が多いと思います。 学校でもそう教わったのではないでしょうか?

しかし、聖徳太子が意図したことは、どちらかというと、胡錦濤さんの「和諧」に近い。 つまり、「和(やわ)らぎ」の意味です。 物腰がやわらかい、柔軟性がある。 これは仏教徒の本質(中国から取り入れた大乗仏教)だと鈴木大拙が『知と行』(1947年)に書いています。

もしかしたら、胡錦濤さん、日本の歴史を勉強して学んだのかも知れませんね?

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2012年2月6日月曜日

日々発見

日曜の早朝を散歩すると面白いものに出くわします。 日々発見ですね。

宗教のことを考えて雪の金沢に行くと鈴木大拙にぶちあたり、鈴木大拙を考えているとヨーコ・オノが出て来た。 ヨーコ・オノとなればジョン・レノン、そしてビートルズとなる。 ビートルズはもう40年以上聴いているが、新たな発見があります。

音楽なんて宗教とよく似ていて、プロの音楽家はみんなが原理主義者みたいで、自分の音楽だけを好み、それが優位だと主張する。 たぶん、そうでなければ一流になれないのだろう。 しかし、ビートルズが単純なロック・ミュージックを変革したのは、ジョンがヨーコに出会い、日本特有の宗教的な価値観、つまり、すべてをうまく飲み込む神仏習合のようなことを音楽に取り込んだからではないだろうか?

ちょっと考えすぎ?



「サムシング」のギターを弾いているのはエリック・クラプトンじゃないですよ。 ジョージ・ハリソンです。 「レット・イット・ビー」のギターソロとよく似ています。

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2012年2月5日日曜日

三鷹駅前の工事現場

三鷹駅前の工事現場

無味乾燥なサインよりも好感が持てます。 こういったセンスって好きですよ。

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2012年2月4日土曜日

ジョン・レノンの魂


アメリカで一番有名な日本人って誰でしょう?

イチロー、マツイ、それとも、クロサワかオザワ? (オザワと言ってもセージ・オザワですよ)。 ノダソーリと言ってみたところで誰も知らないでしょうね。

私はヨーコ・オノだと思います。

ニューヨークというと、摩天楼のそびえ立つマンハッタンをイメージしがちですが、ニューヨーク郊外の居住区は「森のなか」というのが実際のところです。 マンハッタンから電車で30分ほど北に行った森の中にサラ・ローレンス大学があります。 ヨーコ・オノはサラ・ローレンス大学の学生でした。 その頃に鈴木大拙の話を数回聞いたことがあるそうです。 また、渡米する前、彼女が学習院の学生だったころから仏教に興味があり、鎌倉の禅寺に通っていたこともあるとか(大拙の若い頃に似ています)。

私が最初にビートルズのレコードを買ったのは、「マジカル・ミステリー・ツアー」(1968年 日本)です。 この後、「ヘイ・ジュード」、「ホワイトアルバム」、「イエロー・サブマリン」、「アビー・ロード」、「レット・イット・ビー」と続きます。 ビートルズの音楽はマジカル・ミステリー・ツアーあたりから単なるポップ・ミュージックでなくなったと思います。 それはヨーコ・オノの影響でしょうね( ヨーコとジョン・レノンの出会いは1966年です)。 ジョン・レノンやジョージ・ハリソンの歌詞は東洋の影響を受けたものになってきました。 シンプルだけど深みのある内容に変わってきたのです。

鈴木大拙は、1962年に書いています(『東洋的な見方』 岩波文庫。    

アメリカで、コロンビア大学に関係のあったころ、その学校の百年祭だったか、百五十年祭かの催しがあって、わしらにも何か喋舌れといわれた。 「自由」とか、何とかいってお祭り騒ぎをするが、人間がこの有限な世界で二元的に物事を考えているかぎり、いくら「自由」を叫んでも、それは無意義だ。

西洋のリバティやフリーダムには、(東洋的)自由の義はなくて、消極性をもった束縛または牽制から解放せられるの義だけである。 それは否定性をもっていて、東洋
的の自由の義と大いに相違する。つまり、(東洋的)自由はその字のごとく、「自」が主になっている。 (東洋の)自由は「自然」と同じく自由の自には自他対立の意義を含まないで、ただ一面の自である、すなわち絶対性を持つ自であることを心得ておくべきだ

鈴木大拙は上のように、東洋的自由を説明しました(大拙の言う括弧付きの「自由」は西洋の自由です)。 ヨーコはコロンビア大学の鈴木大拙の講演をマンハッタンのコロンビア大学まで聞きにいったのかも知れませんね。

ヨーコから禅の思想を吸収し、「東洋的な見方」をジョンの魂として創作していったのでしょう。 ジョンのような人が今でも生きていてくれれば、、、。

Because the world is round
It turns me on
Because the world is round

Because the wind is high
It blows my mind
Because the wind is high

Love is old, love is new
Love is all, love is you

Because the sky is blue
It makes me cry
Because the sky is blue



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2012年2月3日金曜日

GDPの推移 1990年 ‐ 2010年



出典:世界銀行

最近、宗教の世界をさまよっていたので、今日は少し現実的な話をします。 上の折れ線グラフはGoogleのPublic Data ツール(無料)で作成したものです(http://google.com/publicdata)。

このグラフから、日本経済はどうしようもないと見るか、まだまだ大丈夫だと見るかは意見が分かれるところだと思います。 しかし、確実に言えることは日本の中央銀行、つまり、日本銀行にデフレを脱却する意欲なんてないのだろうということです。 日銀に金融政策をとらせない政府の問題なのか、それとも、どこかの国に脅されて政府がアクションをとれないでいるのか分かりません。 経済においても主権が大事ですから、、、。

円高・長期デフレを世界経済の安定性の問題だとか、世界中の投資家のリスクに対する姿勢(投資家としてどの通貨に投資するか)が原因だなんてふざけた説明は話になりませんね。 どの国の政治家も、緩やかなインフレにして失業率を抑えるというのが自分たちの役目であると分かっています。

大学の入学が春か秋かというよりも、最優先でアクションをとってもらいたい問題です。

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2012年2月2日木曜日

ビミョー?

鈴木大拙ミュージアムの展示物

大拙は「妙」という言葉を好んだそうです。 シェイクスピアの『As You Like It』に一句を見いだし、これが「妙」だと思ったそうです(O Wonderful, Wonderful, And Most Wonderful Wonderful! And Yet Again Wonderful ...)。

大拙は著書『東洋的な見方』(岩波文庫)で「妙」ということが、東洋的なものを最もよく現していると思うと言っています。 西洋人は、テクニックにとらわれているというか、意識でもって、これがいいとか悪いとかいって、そして描くとか彫刻する。本当の美は出てこない。目的があったらその意識がくっついてくるから我というものが出るからだそうです。

要するに、西洋人は「何ごとも他に対して存在するもの」という、相対的な見方をするということだと思います。 仏教でいう無我の境地、つまり、無意識にならないと「妙」にならないと言っているのでしょう。 テクニックにとらわれると我がでる。無我になってはじめて「妙」が出る。それが東洋的な見方というものだと。

最近の若い女性はよく「ビミョー(微妙)」って言いますが、分かって言ってますかね? 微妙(玄妙)の意味を、、。

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